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大善寺(甲府市) [寺]

山梨県甲府市
大善寺HP
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拝観料500円也
wiki>寺伝に拠れば奈良時代に行基の開創を伝え(延慶3年(1310年)「関東下知状」)、本尊である薬師如来像の様式などから創建は平安時代前期と考えられている。薬師堂は天禄2年(971年)三枝守国による建立とする伝承があり(天文14年(1545年)「大善寺諸堂建立炎上記」)、在庁官人として甲府盆地東部の東郡地域で勢力を持った古代豪族である三枝氏の氏寺とされる。

楼門 元禄17年(1704年)建立
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楽堂
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縁日などで楽器を奏でる場所と書いてあったような。
稚児堂
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こちらで舞を舞うんですな。

薬師堂(本堂) 国宝附:厨子1基
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wiki>寄棟造、檜皮葺。鎌倉時代の本格的密教仏堂。内部の柱に弘安9年(1286年)の刻銘がある。屋根は寄棟造(正面から見た屋根形が台形を呈する)であるが、大棟(台形の上辺に当たる部分)が極端に短いのが特色である。ただし、この屋根形式は江戸時代の修理によるもので、建築当初からこのような形であったかどうかは定かでない。堂内の厨子は堂よりやや遅れて文和4年(1355年)の作。
本堂の中には国宝付属の厨子があって、ぶどうをもった薬師如来(重文)が安置されてるんですが秘仏で厨子は閉じたられたままでした。
今年の10月に御開帳があるみたいですよ。
両脇侍は修理が終わって博物館に出張中。十二神将は拝めたような気がします。

地蔵堂
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鐘楼
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行者堂
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wiki>織田信長の甲州征伐が勃発すると、天正10年(1582年)3月3日、新府城から落ち延びた武田勝頼一行が大善寺に立寄る。勝頼は、兄の仇の子息ではあるが快く迎えて(良晴に嫁したのち勝頼の乳母となっていた)、同寺薬師堂に勝頼、勝頼夫人、武田信勝を迎えて理慶尼と4名で寝所を供にした。勝頼はここで小山田信茂の裏切りを知り、天目山に向かっている。
このお寺の奥にその武田滅亡記を記した理慶尼のお墓もあるみたいです。
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stop!

新緑が本当に綺麗ですね。(^^)
そうですか・・・
ここで武田の家臣たちが逃げ出しちゃったわけですね。
by stop! (2013-05-25 17:53) 

Sazaby

>stop!さん
 ある意味この場所で運命が決まってしまっていたのかも
by Sazaby (2013-05-25 20:33) 

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