醍醐寺へ [ ┗京都 楽土の道]
2/26 9:30 山科から今度は地下鉄に乗って醍醐へ
駅からあるいて10分ぐらい
神仏霊場巡拝の道 126番 醍醐寺へ HP
参道の両側、全部桜の木なんでしょうね
塔頭 三宝院 修験道当山派の本山です。
国宝 唐門
この門の向こう側が特別名勝 醍醐寺三宝院庭園 醍醐の花見の中心部分跡地です。(庭ができたのは花見の直後)
仁王門 仁王像 重文
ちょっと頭でっかちだな…
昨年、お賽銭泥棒が仁王さんを壊したとか…
参道を進むとすぐに金堂が見えてきます。
金堂 国宝です。
wiki>入母屋造本瓦葺き。正面7間、側面5間。平安時代後期建立。豊臣秀吉の発願により紀州から移築したもので、慶長3年(1598年)から移築を開始し、秀吉没後の慶長5年(1600年)に落慶している。『紀伊名所図会』等によると、当初は紀州湯浅(和歌山県湯浅町)の満願寺(12世紀後半に建立された後白河法皇の御願寺)本堂であったという。部材には平安時代のものが残るが、堂が湯浅にあった鎌倉時代に改修を受けており、移築時の桃山時代の手法も混在する。立ちの高い入母屋屋根は近世風で、移築時の改修である。内部には本尊薬師三尊像(重要文化財)を安置する。堂内は内陣と外陣(礼堂)の境に結界や間仕切りがなく、一体の空間とする点に特色がある。
薬師三尊の他に四天王像と明王像がいくつか(五大明王?)
御朱印
金堂前にはなにやら舞台が
行事日程をみると五大力尊仁王会が2/23に行われていたようです。
どんなものかは写真でみたことがあるだけ。
HP>近年では、力自慢の男女が巨大な鏡餅を持ち上げ、その時間を競う「餅上げ力奉納」も有名です。
男性は150kg、女性は90kgの鏡餅を抱え、その力を奉納し、無病息災、身体堅固を祈ります。
いや腰 折れてしまうよ(;つД`) せっかくお参りに来てやっちまった人も少なくなさそうな…
不動堂の前 護摩壇
五重塔 国宝
wiki>天暦5年(951年)建立。承平元年(931年)、その前年に亡くなった醍醐天皇の冥福を祈るために第三皇子の代明親王(よしあきらしんのう)が発願し、穏子皇太后の令旨で建立が計画された。しかし、代明親王の死去(937年)などがあって工事は停滞し、完成したのは発願の20年後であった。総高38メートル。うち相輪部が12.8メートルで、全体の3割以上を占める。屋根の逓減率が大きく[3]、塔身の立ちが低いため、後世の塔のような細長いプロポーションにはならない。創建以来たびたび修理を経ているが、中でも天正13年(1585年)の地震では一部の軒が垂れ下がるなどの甚大な被害を受け、豊臣秀吉の援助で慶長3年(1597年)に修理が完成している。昭和25年(1950年)の台風でも被害を受け、同35年(1960年)に修理が完成した。京都に残る数少ない平安時代建築として貴重であるとともに、初重内部の両界曼荼羅と真言八祖を表した壁画も平安絵画の遺品として重要であり、塔本体とは別に「絵画」として国宝に指定されている。
清瀧宮本殿 重文
清瀧権現を祀っています。東寺でも出てきました、密教の守護神ですね。
下醍醐の伽藍の主だった建物はこんな感じ。
上醍醐にも国宝建築物がいくつか。西国霊場の札所准胝堂もあったんですが…下醍醐からは一時間ぐらいかかるんだって…∩( ・ω・)∩
(准胝堂自体は4年前に燃えてしまったので今はありません。御朱印は下でもらえるようです)
醍醐寺の伽藍地図ではあたかもすぐ隣にあるように描かれてるんですがね…
駅からあるいて10分ぐらい
神仏霊場巡拝の道 126番 醍醐寺へ HP
参道の両側、全部桜の木なんでしょうね
塔頭 三宝院 修験道当山派の本山です。
国宝 唐門
この門の向こう側が特別名勝 醍醐寺三宝院庭園 醍醐の花見の中心部分跡地です。(庭ができたのは花見の直後)
仁王門 仁王像 重文
ちょっと頭でっかちだな…
昨年、お賽銭泥棒が仁王さんを壊したとか…
参道を進むとすぐに金堂が見えてきます。
金堂 国宝です。
wiki>入母屋造本瓦葺き。正面7間、側面5間。平安時代後期建立。豊臣秀吉の発願により紀州から移築したもので、慶長3年(1598年)から移築を開始し、秀吉没後の慶長5年(1600年)に落慶している。『紀伊名所図会』等によると、当初は紀州湯浅(和歌山県湯浅町)の満願寺(12世紀後半に建立された後白河法皇の御願寺)本堂であったという。部材には平安時代のものが残るが、堂が湯浅にあった鎌倉時代に改修を受けており、移築時の桃山時代の手法も混在する。立ちの高い入母屋屋根は近世風で、移築時の改修である。内部には本尊薬師三尊像(重要文化財)を安置する。堂内は内陣と外陣(礼堂)の境に結界や間仕切りがなく、一体の空間とする点に特色がある。
薬師三尊の他に四天王像と明王像がいくつか(五大明王?)
御朱印
金堂前にはなにやら舞台が
行事日程をみると五大力尊仁王会が2/23に行われていたようです。
どんなものかは写真でみたことがあるだけ。
HP>近年では、力自慢の男女が巨大な鏡餅を持ち上げ、その時間を競う「餅上げ力奉納」も有名です。
男性は150kg、女性は90kgの鏡餅を抱え、その力を奉納し、無病息災、身体堅固を祈ります。
いや腰 折れてしまうよ(;つД`) せっかくお参りに来てやっちまった人も少なくなさそうな…
不動堂の前 護摩壇
五重塔 国宝
wiki>天暦5年(951年)建立。承平元年(931年)、その前年に亡くなった醍醐天皇の冥福を祈るために第三皇子の代明親王(よしあきらしんのう)が発願し、穏子皇太后の令旨で建立が計画された。しかし、代明親王の死去(937年)などがあって工事は停滞し、完成したのは発願の20年後であった。総高38メートル。うち相輪部が12.8メートルで、全体の3割以上を占める。屋根の逓減率が大きく[3]、塔身の立ちが低いため、後世の塔のような細長いプロポーションにはならない。創建以来たびたび修理を経ているが、中でも天正13年(1585年)の地震では一部の軒が垂れ下がるなどの甚大な被害を受け、豊臣秀吉の援助で慶長3年(1597年)に修理が完成している。昭和25年(1950年)の台風でも被害を受け、同35年(1960年)に修理が完成した。京都に残る数少ない平安時代建築として貴重であるとともに、初重内部の両界曼荼羅と真言八祖を表した壁画も平安絵画の遺品として重要であり、塔本体とは別に「絵画」として国宝に指定されている。
清瀧宮本殿 重文
清瀧権現を祀っています。東寺でも出てきました、密教の守護神ですね。
下醍醐の伽藍の主だった建物はこんな感じ。
上醍醐にも国宝建築物がいくつか。西国霊場の札所准胝堂もあったんですが…下醍醐からは一時間ぐらいかかるんだって…∩( ・ω・)∩
(准胝堂自体は4年前に燃えてしまったので今はありません。御朱印は下でもらえるようです)
醍醐寺の伽藍地図ではあたかもすぐ隣にあるように描かれてるんですがね…
たくさんのノボリ!賑わい感じて好きです!(おかげ餅・・・台風とは無関係ですね。)
台風4号・・・静岡市(葵区)の実家は無事でした。ありがとうございます。
このコメント中の岩国市(山口県東部)は、前線の影響で大雨(イイ感じ?)です。
by hanamura (2012-06-21 19:53)
国宝の唐門はピッカピカですね。^^
by susumu (2012-06-21 19:55)
>hanamuraさん
また雨降ってますね~^^;
でもちょっと涼しいかも
>susumuさん
今度行ったときは門の先の庭園も見たいです。
by Sazaby (2012-06-22 08:46)