茶室 麟閣 [ ┗北海道・東北の100名城]
12/18 10:45 本丸にある麟閣へ
wiki>母宗恩が利休の後妻に入ったため、利休の養子となった。義兄の道安とは同い年にあたる。先天的に片足に障害を持っており、相続関係の資料から千家内での立場が弱かった事実も確認されている。妻は利休の娘お亀(おちょうとも)で、二人の間には嗣子宗旦が生まれている。
利休切腹後は会津の蒲生氏郷のもとに蟄居を命じられた。なお、現在福島県会津若松市の若松城(鶴ヶ城)内には、少庵が造らせたと伝えられる茶室「麟閣」が残されている。
文禄3年(1594年)、徳川家康・蒲生氏郷のとりなしで赦されて京に戻り、千家(京千家)を興し、息子宗旦を還俗させた。早くに隠居し、宗旦の後見に徹したといわれている。
京に戻った宗旦は三千家の祖になりました。
腰掛待合
茶室 麟閣
廊下橋から二の丸方面へ
wiki>母宗恩が利休の後妻に入ったため、利休の養子となった。義兄の道安とは同い年にあたる。先天的に片足に障害を持っており、相続関係の資料から千家内での立場が弱かった事実も確認されている。妻は利休の娘お亀(おちょうとも)で、二人の間には嗣子宗旦が生まれている。
利休切腹後は会津の蒲生氏郷のもとに蟄居を命じられた。なお、現在福島県会津若松市の若松城(鶴ヶ城)内には、少庵が造らせたと伝えられる茶室「麟閣」が残されている。
文禄3年(1594年)、徳川家康・蒲生氏郷のとりなしで赦されて京に戻り、千家(京千家)を興し、息子宗旦を還俗させた。早くに隠居し、宗旦の後見に徹したといわれている。
京に戻った宗旦は三千家の祖になりました。
腰掛待合
茶室 麟閣
廊下橋から二の丸方面へ
2012-03-18 05:00
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コメント(6)
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今日もおもむき有る写真楽しませていただきました。
by 楽しく生きよう (2012-03-18 09:20)
会津若松にはいろんな物語がありますね。
厳しい寒さと白一色に彩られた鶴ヶ城の美しい風景・・・。
小庵の茶道にも影響を与えたのでしょうか。^^
by susumu (2012-03-18 19:13)
>楽しく生きようさん
ありがとうございます。
>susumuさん
京とはまた違った厳しさがあったでしょうね(-_-)
by Sazaby (2012-03-18 19:41)
茶室麟閣暖かくなってからいこうと思います。
by れもん (2012-03-18 20:57)
静けさが伝わってきました。
特に、つららの先から滴が落ちそうで思わず、手を出してしまいそうに。有難うございました。
by so-cosmonet (2012-03-19 05:26)
>れもんさん
麟閣には入れませんが、敷地にある茶屋でお茶を頂くことができますよ^^
>so-cosmonetさん
凛とした空気の中で、雪の中の庭園。よかったですよ^^
by Sazaby (2012-03-19 05:38)