まぼろしの帰雲城 [ ┗北陸・東海のお城]
翌 9/30 8:00 雨ふってら…
去年susumuさんの記事で知った、帰雲城(かえりくもじょう)を見たくて、来てみました。
帰雲城跡
飛州の帰雲と云う在所内島と云う奉公衆ある所なり。地震に山をゆりくずし山河多くせかれて、
内島の在所へ大洪水はせ入って、内島一類地下人にいたる迄残らず死たる也。
他国へ行きたる四人残りて泣く泣く在所へ帰りたる由。彼の在所はことごとく渕になりたる也。貝塚御座所日記より
wiki>天正13年11月29日(1586年1月18日)に天正大地震が起き、帰雲山の山崩れで埋没。
城主の内ヶ島氏理ら一族は全て死に絶えてしまい、この瞬間をもって内ヶ島氏は滅亡してしまった。
なお、城のあった正確な位置は現在も特定されていない。
菩薩像の後ろの方に帰雲山があります。
雨降ってたんでよく見えないかもしれないですが、がっつり崩れてます。
とても400年以上前の出来事の話とは信じられません…
GoogleMapの航空写真で見ても大きな爪痕がはっきり…
これはなんだ?
ちょっと横には
o(・_・= ・_・)oキョロキョロ
後ろを振り返るとそこにお社が
帰り雲神社
さっきの立て看板の内容はこの社の石垣を差している? あんまり似てないな
武将の面影?
姫の横顔?
分かんない┐(´д`)┌
天正大地震
wiki>琵琶湖では、下坂浜千軒遺跡となる現長浜市の集落が液状化現象により、水没。
越中国では木舟城が地震で倒壊、城主前田秀継夫妻など多数が死亡した。前田秀継は前田利春の子で前田利家の弟である。
また、飛騨国帰雲城は帰雲山の山崩れによって埋没、城主内ヶ島氏理とその一族は全員死亡し、内ヶ島氏は滅亡した。また、周辺の集落数百戸も同時に埋没の被害に遭い、多くの犠牲者を出すこととなった。
郡上では、奥明方(現郡上市明宝)の水沢上の金山、また集落(当時6、70軒)が一瞬で、崩壊し、辺り一面の大池となったといわれる。
その他、美濃国では大垣城が全壊焼失、近江国では長浜城が全壊し、城主山内一豊の息女与祢姫、家老の乾和信夫妻が死亡するなど、近畿、東海、北陸にかけての各地で甚大な被害が出た。
京都では東寺の講堂、灌頂院が破損、三十三間堂では仏像600体が倒れた。
尾張国では昭和63年(1988年)度に実施された五条川河川改修に伴う清洲城下の発掘調査で、天正大地震による可能性の高い液状化の痕跡が発見されている。天正14年(1586年)に織田信雄によって行われた清洲城の大改修は、この地震が契機だった可能性が高いと考察された。
去年susumuさんの記事で知った、帰雲城(かえりくもじょう)を見たくて、来てみました。
帰雲城跡
飛州の帰雲と云う在所内島と云う奉公衆ある所なり。地震に山をゆりくずし山河多くせかれて、
内島の在所へ大洪水はせ入って、内島一類地下人にいたる迄残らず死たる也。
他国へ行きたる四人残りて泣く泣く在所へ帰りたる由。彼の在所はことごとく渕になりたる也。貝塚御座所日記より
wiki>天正13年11月29日(1586年1月18日)に天正大地震が起き、帰雲山の山崩れで埋没。
城主の内ヶ島氏理ら一族は全て死に絶えてしまい、この瞬間をもって内ヶ島氏は滅亡してしまった。
なお、城のあった正確な位置は現在も特定されていない。
菩薩像の後ろの方に帰雲山があります。
雨降ってたんでよく見えないかもしれないですが、がっつり崩れてます。
とても400年以上前の出来事の話とは信じられません…
GoogleMapの航空写真で見ても大きな爪痕がはっきり…
これはなんだ?
ちょっと横には
o(・_・= ・_・)oキョロキョロ
後ろを振り返るとそこにお社が
帰り雲神社
さっきの立て看板の内容はこの社の石垣を差している? あんまり似てないな
武将の面影?
姫の横顔?
分かんない┐(´д`)┌
天正大地震
wiki>琵琶湖では、下坂浜千軒遺跡となる現長浜市の集落が液状化現象により、水没。
越中国では木舟城が地震で倒壊、城主前田秀継夫妻など多数が死亡した。前田秀継は前田利春の子で前田利家の弟である。
また、飛騨国帰雲城は帰雲山の山崩れによって埋没、城主内ヶ島氏理とその一族は全員死亡し、内ヶ島氏は滅亡した。また、周辺の集落数百戸も同時に埋没の被害に遭い、多くの犠牲者を出すこととなった。
郡上では、奥明方(現郡上市明宝)の水沢上の金山、また集落(当時6、70軒)が一瞬で、崩壊し、辺り一面の大池となったといわれる。
その他、美濃国では大垣城が全壊焼失、近江国では長浜城が全壊し、城主山内一豊の息女与祢姫、家老の乾和信夫妻が死亡するなど、近畿、東海、北陸にかけての各地で甚大な被害が出た。
京都では東寺の講堂、灌頂院が破損、三十三間堂では仏像600体が倒れた。
尾張国では昭和63年(1988年)度に実施された五条川河川改修に伴う清洲城下の発掘調査で、天正大地震による可能性の高い液状化の痕跡が発見されている。天正14年(1586年)に織田信雄によって行われた清洲城の大改修は、この地震が契機だった可能性が高いと考察された。
以前帰雲城埋没地の看板を見たときに「なんだろう」くらいにしか思わなかったのですが・・・
なるほど、こういうお話があったのですね・・・
by アルマ (2011-11-21 08:42)
お早うございます。
悲しい歴史ですね・・・
by yakko (2011-11-21 09:01)
大災害の悲しい歴史ですね。
滋賀県はあまり地震がない土地と思っていましたが。
by Silvermac (2011-11-21 10:43)
武将の顔も姫の横顔も・・・わからんとです
by まめ (2011-11-21 12:49)
こんちは~
確かにわかんないですね^^
by はまやん (2011-11-21 15:39)
>アルマさん
自分もこのお城のことは全然知りませんでした。
>yakkoさん
ほんとに悲劇的なお話です。
>Silvermacさん
近畿、中部地区は秀吉に平定されて平和な時代になった矢先の出来事ですね。
>まめさん
さっぱりです┐(´д`)┌
>はまやんさん
看板も消えかけなので細かくどのあたりか分からないんですよね(´ヘ`;)
by Sazaby (2011-11-21 18:41)
ご訪問有り難うございました。
地震はほんとうに恐ろしいですね。
by mamii (2011-11-21 20:55)
>mamiiさん
いつの世も地震の脅威には脅かされてますが、
その度に復興してきたんです ファイトーー!( ゚ロ゚)乂(゚ロ゚ )イッパーーツ!!
by Sazaby (2011-11-21 21:18)
帰雲城址へ行かれたのですね。
前日はいい天気だったのに雨になっちゃいましたね。ちょっと残念~。
武将の面影と姫の横顔は雨で石が濡れているので良くわかんないですね。^^
自分のこの時の記事の一番下に【おまけ2】を追加して、武将の面影と
姫の横顔の写真をUPしときましたので、興味があれば見てね!^^
http://ninja250ksr.blog.so-net.ne.jp/2010-12-03
by susumu (2011-11-21 22:08)
>susumuさん
ほーsusumuさんの写真でみると分かりますね
というかよく分かりましたね(笑)
分かっていてもこちらの写真では武将は見えないな~(´-ω-`)
by Sazaby (2011-11-21 22:22)
そんなことがあったんですか~。知りませんでした!
by Ronnie (2011-11-22 22:02)
>Ronnieさん
自分も全然しりませんでした。知られない歴史も多いですね
by Sazaby (2011-11-23 06:35)