南都七大寺再び 西大寺 [ ┗奈良 鎮護の道]
生駒から近鉄奈良線で奈良の手前大和西大寺下車
5/2 10:50
神仏霊場巡拝の道 第23番 西大寺
南都七大寺を巡った時以来の再訪です。 今回は全部回ってる時間はありませんが。
東門から
とその門の道の反対側にちっちゃな神社を発見
西大寺石落神社
西大寺の鎮守社のようです。社は古いもののようですが、ちっちゃいし遠いしよくわかりませんね。
西大寺境内へ
四王堂 江戸時代、延宝2年(1674年)の再建。
wiki> 十一面観音立像(重文) - 平安時代後期の作。
四天王立像(重文) - もともとは孝謙上皇発願の四天王像だが、現在は足下の邪鬼にのみ奈良時代のものを残す。
像本体は持国天・増長天・広目天像が銅造、多聞天像のみ木造で、前の3体は鎌倉時代、多聞天は室町時代の作と推定される。
本堂 重文
wiki> 寄棟造、本瓦葺。室町時代の焼失後に再建された堂が傷んだため、修理ではなく新築することとし、寛政10年(1798年)頃造営に着手、文化5年(1808年)頃完成したものである。土壁を一切用いず、装飾性の少ない伝統的な様式になる。
愛染堂 京都御所の近衛公政所御殿を宝暦12年(1762年)移築したもの(移築年次は明和4年=1767年とも)。
wiki>愛染明王坐像(重文)- 宝治2年(1247年)、仏師善円作。小像ながら、日本の愛染明王像の代表作の1つ。当初の彩色や切金文様がよく残る。秘仏で、毎年10月-11月頃に開扉される。作者の善円は、西大寺本堂本尊・釈迦如来像の作者である善慶と同人と推定されている。像内には、小像にもかかわらず、多数の納入品が納められていた。
興正菩薩坐像 - 堂内向かって左の間に安置される、西大寺中興の祖・叡尊の肖像彫刻。弘安3年(1280年)、叡尊80歳の時の肖像で、作者は仏師善春である。長い眉毛、団子鼻の風貌は像主の面影を伝えるものと思われる。西大寺の鎌倉再興期の仏像には像内に多数の納入品が納められているのが特色だが、中でもこの像には叡尊の父母の遺骨をはじめとするおびただしい資料が納入されていた。
前回訪れたときはちょうど愛染明王の御開帳期間でした。
東塔跡
wiki>中心伽藍の前方(南)には東西2基の五重塔が建ち、これらの東に四王院、西に十一面堂院があり、四王院の南に東南角院(すみいん)、十一面堂院の南に西南角院があった。塔は当時としては他に例のない八角形であったという学説がある。
周りの縁石が八角形になってます。これが屋根の形、大きさを表しているようです。
5/2 10:50
神仏霊場巡拝の道 第23番 西大寺
南都七大寺を巡った時以来の再訪です。 今回は全部回ってる時間はありませんが。
東門から
とその門の道の反対側にちっちゃな神社を発見
西大寺石落神社
西大寺の鎮守社のようです。社は古いもののようですが、ちっちゃいし遠いしよくわかりませんね。
西大寺境内へ
四王堂 江戸時代、延宝2年(1674年)の再建。
wiki> 十一面観音立像(重文) - 平安時代後期の作。
四天王立像(重文) - もともとは孝謙上皇発願の四天王像だが、現在は足下の邪鬼にのみ奈良時代のものを残す。
像本体は持国天・増長天・広目天像が銅造、多聞天像のみ木造で、前の3体は鎌倉時代、多聞天は室町時代の作と推定される。
本堂 重文
wiki> 寄棟造、本瓦葺。室町時代の焼失後に再建された堂が傷んだため、修理ではなく新築することとし、寛政10年(1798年)頃造営に着手、文化5年(1808年)頃完成したものである。土壁を一切用いず、装飾性の少ない伝統的な様式になる。
wiki>釈迦如来立像(重文) - 西大寺の本尊。建長元年(1249年)、仏師善慶の作。いわゆる「清凉寺式釈迦如来像」の典型作で、京都・清凉寺にある三国伝来の釈迦像(「三国」はインド、中国、日本を指す)の模刻である。像内には多数の納入品が納められていた。西大寺の鎌倉復興期の仏像は、本像の作者善慶をはじめ、名前に「善」字を用いる善派と呼ばれる一派の作が多い。 文殊菩薩及び脇侍像5体(重文) - 正安4年(1302年)の作。像内には多数の納入品が納められていた。 |
愛染堂 京都御所の近衛公政所御殿を宝暦12年(1762年)移築したもの(移築年次は明和4年=1767年とも)。
wiki>愛染明王坐像(重文)- 宝治2年(1247年)、仏師善円作。小像ながら、日本の愛染明王像の代表作の1つ。当初の彩色や切金文様がよく残る。秘仏で、毎年10月-11月頃に開扉される。作者の善円は、西大寺本堂本尊・釈迦如来像の作者である善慶と同人と推定されている。像内には、小像にもかかわらず、多数の納入品が納められていた。
興正菩薩坐像 - 堂内向かって左の間に安置される、西大寺中興の祖・叡尊の肖像彫刻。弘安3年(1280年)、叡尊80歳の時の肖像で、作者は仏師善春である。長い眉毛、団子鼻の風貌は像主の面影を伝えるものと思われる。西大寺の鎌倉再興期の仏像には像内に多数の納入品が納められているのが特色だが、中でもこの像には叡尊の父母の遺骨をはじめとするおびただしい資料が納入されていた。
前回訪れたときはちょうど愛染明王の御開帳期間でした。
東塔跡
wiki>中心伽藍の前方(南)には東西2基の五重塔が建ち、これらの東に四王院、西に十一面堂院があり、四王院の南に東南角院(すみいん)、十一面堂院の南に西南角院があった。塔は当時としては他に例のない八角形であったという学説がある。
周りの縁石が八角形になってます。これが屋根の形、大きさを表しているようです。
奈良に1年居ましたが、最大時には行ったことがありません。
by Silvermac (2011-08-01 07:19)
>Silvermacさん
かつての広大な伽藍はもうありませんが、今でも立派なお寺ですよ。
愛染堂の愛染明王などが名が知られたものかと思われます。
by Sazaby (2011-08-01 17:47)
今日は僕も西大寺を記事にしています(>▽<)
自宅から徒歩5分なので(^^;
by マチャ (2011-08-01 20:01)
>マチャさん
拝見させて頂きましたよ。
薬師寺や唐招提寺もちょっと散歩な距離ですね。うらやましいです^^
by Sazaby (2011-08-01 20:54)