真正極楽寺 [ ┗京都 楽土の道]
2/13 14:50 神仏霊場巡拝の道 111番 真正極楽寺 通称:真如堂へ HP
wiki>永観2年(984年)比叡山の僧である戒算が比叡山常行堂の本尊阿弥陀如来を東三条院詮子(一条天皇生母)の離宮に安置したのが始まりである。不断念仏の道場として念仏行者や庶民、特に女性の信仰を得てきた。しかし応仁の乱をはじめ度重なる火災により堂塔は焼失した。その後足利将軍家や豊臣秀吉により京都市内の何カ所かを転々としたのち、元禄6年(1693年)現在の場所に再建された。
吒枳尼天
もともとインドの神様で白狐にのる天女の姿で表され、日本では稲荷信仰と習合していました。
神仏分離令により稲荷社のほとんどはウカノミタマを祭神とするようになりましたが、豊川稲荷では今でも吒枳尼天を祀っているようです。
また、城跡にある稲荷社のほとんどは吒枳尼天という話。
本堂 重文
鎌倉地蔵
日本三大悪妖怪のひとつ 玉藻前が変化した殺生石のかけらを彫った地蔵らしい
玉藻前は鳥羽上皇(三上博史)をたぶらかしたとされる九尾の狐。 美福門院(松雪泰子)がモデルっていう話も。
元三大師堂
おみくじの創始者良源の絵が祀られてます。
本堂でお参り
wiki>本尊の阿弥陀如来は「頷きの阿弥陀」とも呼ばれており、慈覚大師が「修行者を守護して下され」と祈ると首を横に振り、「衆生、特に女性をお救い下され」と祈ると頷いた、という伝説がある。
御朱印
無量寿かな?阿弥陀仏のことを表すらしい。
堂内には安倍晴明念持仏の不動明王も 中の写真は無いんですが
お庭なども拝観したのでまた続きを
wiki>永観2年(984年)比叡山の僧である戒算が比叡山常行堂の本尊阿弥陀如来を東三条院詮子(一条天皇生母)の離宮に安置したのが始まりである。不断念仏の道場として念仏行者や庶民、特に女性の信仰を得てきた。しかし応仁の乱をはじめ度重なる火災により堂塔は焼失した。その後足利将軍家や豊臣秀吉により京都市内の何カ所かを転々としたのち、元禄6年(1693年)現在の場所に再建された。
吒枳尼天
もともとインドの神様で白狐にのる天女の姿で表され、日本では稲荷信仰と習合していました。
神仏分離令により稲荷社のほとんどはウカノミタマを祭神とするようになりましたが、豊川稲荷では今でも吒枳尼天を祀っているようです。
また、城跡にある稲荷社のほとんどは吒枳尼天という話。
本堂 重文
鎌倉地蔵
日本三大悪妖怪のひとつ 玉藻前が変化した殺生石のかけらを彫った地蔵らしい
玉藻前は鳥羽上皇(三上博史)をたぶらかしたとされる九尾の狐。 美福門院(松雪泰子)がモデルっていう話も。
元三大師堂
おみくじの創始者良源の絵が祀られてます。
本堂でお参り
wiki>本尊の阿弥陀如来は「頷きの阿弥陀」とも呼ばれており、慈覚大師が「修行者を守護して下され」と祈ると首を横に振り、「衆生、特に女性をお救い下され」と祈ると頷いた、という伝説がある。
御朱印
無量寿かな?阿弥陀仏のことを表すらしい。
堂内には安倍晴明念持仏の不動明王も 中の写真は無いんですが
お庭なども拝観したのでまた続きを
真如堂・・・とっても見所の多いお寺ですね。
安倍晴明から松雪泰子まで、とっても楽しめます。^^
by susumu (2012-05-19 06:08)
茶吉尼天(別の漢字あてました)の乗り物、玉藻前、安倍晴明の母(?)葛の葉、みんな狐(御稲荷様)関係ですね。稲荷信仰は、「平清盛」の時代に陰陽師がを流行させた説、農耕民族の土着神の神仏混淆説などを、聞いたり読んだりしました。
古いお寺も創建当時は、信者獲得のために、あの手この手だったのかな?(妄想)・・・「頷きの阿弥陀」で女性票を集めるのは、ナカナカですねぇ。
by hanamura (2012-05-19 06:28)
>susumuさん
三上博史の取りつかれた感満載の演技はなかなかでした(笑)
>hanamuraさん
人間の創造力(想像力)はたいしたものです
by Sazaby (2012-05-19 06:44)
鎌倉地蔵って殺生石のかけらを彫ったものだったんですか…。
殺生石って、猛毒で周りの生物を殺しまくった凄まじい石ですよね。
白面金毛九尾の狐の妖力は残って無いのかもしれませんが、
かなり強力な地蔵なのでは(笑)
by 六文銭 (2012-05-19 16:45)
>六文銭さん
割れた後の殺生石は何箇所かに散らばったようですよ
散らばった石を集めると…
by Sazaby (2012-05-19 19:16)