御寺 泉涌寺 [ ┗京都 楽土の道]
2/11 13:00 神仏霊場巡拝の道 121番 泉涌寺へ
大門 重文
wiki>東山三十六峰の南端にあたる月輪山の山麓に広がる寺域内には、鎌倉時代の後堀河天皇、四条天皇、江戸時代の後水尾天皇以下幕末に至る歴代天皇の陵墓があり、皇室の菩提寺として「御寺(みてら)泉涌寺」と呼ばれている。
仏殿 重文
wiki>寛文8年(1668年)、徳川家綱の援助で再建したもの。密教寺院の中心堂宇は「本堂」「金堂」と称することが多いが、当寺では宋風の「仏殿」の呼称を用いる。内部は禅寺風の土間とし、柱、窓、組物、天井構架等の建築様式も典型的な禅宗様になる。本尊は過去・現在・来世を表す釈迦・阿弥陀・弥勒の3体の如来像を安置する。天井の竜の図と本尊背後の白衣(びゃくえ)観音図は狩野探幽の筆になる。
中の写真はありません。
仏殿の背後の舎利殿
wiki>俊芿の弟子湛海が南宋慶元府の白蓮寺から請来したという仏牙舎利(釈尊の歯)を安置する。
ここは普段は拝観できなかったと思います。
御座所
こちらで御朱印を
霊明殿は歴代の天皇の位牌が安置されている建物です。 建物内部の写真はありませんが過去記事
朱印の右上には「皇室香華院」とあります。霊明院の裏にある月輪陵に対して香を焚き、花を供える役割のお寺ということを表しています。
月輪陵
大門 重文
wiki>東山三十六峰の南端にあたる月輪山の山麓に広がる寺域内には、鎌倉時代の後堀河天皇、四条天皇、江戸時代の後水尾天皇以下幕末に至る歴代天皇の陵墓があり、皇室の菩提寺として「御寺(みてら)泉涌寺」と呼ばれている。
仏殿 重文
wiki>寛文8年(1668年)、徳川家綱の援助で再建したもの。密教寺院の中心堂宇は「本堂」「金堂」と称することが多いが、当寺では宋風の「仏殿」の呼称を用いる。内部は禅寺風の土間とし、柱、窓、組物、天井構架等の建築様式も典型的な禅宗様になる。本尊は過去・現在・来世を表す釈迦・阿弥陀・弥勒の3体の如来像を安置する。天井の竜の図と本尊背後の白衣(びゃくえ)観音図は狩野探幽の筆になる。
中の写真はありません。
仏殿の背後の舎利殿
wiki>俊芿の弟子湛海が南宋慶元府の白蓮寺から請来したという仏牙舎利(釈尊の歯)を安置する。
ここは普段は拝観できなかったと思います。
御座所
こちらで御朱印を
霊明殿は歴代の天皇の位牌が安置されている建物です。 建物内部の写真はありませんが過去記事
朱印の右上には「皇室香華院」とあります。霊明院の裏にある月輪陵に対して香を焚き、花を供える役割のお寺ということを表しています。
月輪陵
月輪陵はかなり、イッパイいっぱいなんですね。
by 桔梗之介 (2012-04-02 12:31)
>桔梗之介さん
考えればあたりまえですが、皇族って山ほどいるんですね~…
by Sazaby (2012-04-02 20:18)