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東海道(金谷宿、さやの中山、茶畑)その九 [ └歩きたくなるみち 静岡県]

日坂宿からどうやらなだらかな山の峰沿いを歩いている様子
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白山神社
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芭蕉句碑
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藤原家隆句碑 誰? 歌人らしいけど
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紀友則 こっちも知らんけど 貫之の従兄弟らしい
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とにかくいろんな人がやさの中山の歌を残してますよということ

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鎧塚
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建武の新政中に鎌倉北条vs今川(足利一族)の戦いがここであったらしい

wiki>足利尊氏が後醍醐天皇に対して時行討伐の許可と同時に武家政権の設立に必要となる総追捕使と征夷大将軍の役職を要請するが、後醍醐天皇は要請を拒否する。8月2日尊氏は勅状を得ないまま出陣し、後醍醐天皇は尊氏に追って征東将軍の号を与える。尊氏は直義と合流し、9日遠江国橋本(静岡県湖西市)、12日に小夜の中山にて今川頼国の手により名越邦時戦死、14日に駿河国の清見関および国衙、17日に相模国箱根、18日に相模国相模川では尊氏方の今川頼国・頼周兄弟が戦死するなどの激戦が各地で行われたが、時行勢は次第に劣勢となり戦線は徐々に後退。19日には相模国辻堂で敗れた諏訪頼重が鎌倉勝長寿院で自害して、時行は鎌倉を保つこと20日余りで逃亡する。


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佐夜鹿の一里塚 江戸から56里
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hanamura

静岡市街地の東海道は、平安時代以前は、北側、バイパスと新東名の間ぐらいだったのですよね。
「木枯ノ森」が歌枕だと、その近所の中学校に通って習いました。
by hanamura (2017-07-25 06:23) 

Sazaby

津ノ谷峠に各時代の道が残ってますね
しんどかった…
by Sazaby (2017-07-26 06:16) 

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