SSブログ

亀ヶ谷坂 [ ┗史跡をふらふら]

建長寺近くの脇道
_DSC7662.jpg
鎌倉七口のひとつ

_DSC7663.jpg

wiki>鎌倉時代にこの位置に道があった確実な証拠はない。一般に流布している1240年に北条泰時が開削したとの節は、吾妻鏡の1240年 (仁治元年)10月10日および19日の条に依拠しているが、そこに書かれているのは「山内の道路を造らるべきの由その沙汰有り」であり、道筋はここ亀ヶ谷坂、そして巨福呂坂のどちらもが考えられる。また『鎌倉市史(総説編)』の高柳光寿は現在の横須賀線の西側の谷、を越えたのではないかとの説も控え目ながら出している。そのどちらかはともかく、遅くとも鎌倉時代後期までには、現在の位置に道(切通し)があった状況証拠を確認することができる。

_DSC7664.jpg

_DSC7665.jpg

_DSC7667.jpg

_DSC7669.jpg

_DSC7670.jpg

冬の日没は早くここでタイムアップだったのでした。
_DSC7671.jpg
nice!(51)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 51

コメント 1

さらまわし

ご訪問ありがとうございますm(__)m
by さらまわし (2015-05-07 19:25) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。