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石見銀山 代官所跡と石見城跡 [ ┗世界遺産をふらふら]

世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観
代官所跡
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世界遺産記載推薦書>1-B 代官所跡
代官所跡(1-B)は、大森地区の北東側に位置する。17世紀から19世紀半ばまで、江戸幕府が石見銀山と周辺地域の150余村を支配するために、江戸幕府が代官を派遣して現地に置いた役所の跡である。
 敷地面積は2,657㎡あり、瓦葺き平屋建ての表門とその左右に付随する門長屋建物が現存する。現存建物の規模は、幅約4m 、総長33m である。 1800年に起こった大火の後の1815年に建築されたもので、当時の棟札が現存するほか、1841年製作の古絵図にも描かれている。
敷地の中央部にあった主屋は1979年に解体され、その後1902年に邇摩郡役所が建てられた。現在、この建物は「石見銀山資料館」として利用され、石見銀山に関する調査研究、資料の保存管理、公開展示、ガイダンス機能の一端を担っている。


門の先は石見銀山資料館 島根県HP
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建物は古いけど、これは元役所の建物。

最初の写真の門と長屋は現存のようだけど、代官所跡としては他に何かあるのかな??

城山神社
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拝殿 瓦葺ですな
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拝殿には禅寺の法堂にあるような巨大な龍の天井画が
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本殿は普通の神社建築の様子
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この付近から世界遺産センターに戻る最終バスに乗って引上げ
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宿への途中
石見城跡
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こちらも世界遺産
みたからに険しそう。一人では危険な感じなのでパスだな。

世界遺産記載推薦書 > 1-E 石見城跡
石見城跡(1-E)は、銀山柵内の北北西約5kmに位置し、標高153mの岩山の山頂部を利用して造られた16世紀の山城跡である。日本海に近い平野部の南端にあって、銀山北側の守備のための重要拠点であった。山頂部には防御の一単位を表す平坦地や、これを守る空濠の跡が良好に遺存する。 1565年には かつて温泉津(3-E)や石見銀山を支配下に収めた在地の領主が 奪還を祈願して出雲大社に寄進を行った記録が残っており、近隣領主にとっても軍事的に重要な位置を占めた城であったことが知られる。

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