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石見銀山 佐毘売山神社 [神社]

世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」 銀山柵内
栃畑谷付近
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世界遺産推薦書 2-a)-(ii) 1-A ②信仰の観点から見た諸要素> 信仰に関連する要素には多くの神社・寺院・小祠などがあり、鉱山活動に伴って集住 した人々の精神生活の痕跡を示している。石見銀山の最盛期には「銀山百カ寺」が存在 したとされ 様々な宗派から成る寺院が銀山の繁栄を祈願して建立されたことが窺える。
 現在、寺院又は寺院跡が谷部を中心に約70 ヶ所存在する。また、この寺院又は寺院跡 に付属する墓地及び単独で存在する墓地には 当地で亡くなった人々の墓石や供養塔が 地表面において確認できるものだけでも 6,000点以上存在する。これらは、かつてこの 山中に多くの人々が集住したことを示している。
 神社は4ヶ所に存在し、さらに寺の敷地内に造営された境内社も 7社が存在する。そ の中でも、鉱山の神を祀る佐毘売山神社は、仙ノ山の鉱山への入り口付近に位置する。 記録によると 1434年に創建されたと伝えられ、銀山の支配者や鉱山労働者の崇敬を集め 続けた。現在の社殿は 世紀前半の建物であり、国内に遺存する同様の鉱山神を祀る神 社としては最大級の社殿を誇る。現在でも、毎年 4月と 9月に地域住民によって祭りが 継続されている。


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佐毘売山神社(さひめやまじんじゃ)
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wiki>さひめ山とは、三瓶山の古名。神亀3年(726年)に朝廷の命令で、三瓶山に改名させられたとされる。三瓶山は、古代出雲や物部氏に関係が深い山とされている。
 当神社は、元々、金山姫・埴山姫・木花咲耶姫の三女神を祭った姫山神社であったが、永享6年(1434年)室町幕府第六代将軍 足利義教の命で、領主の大内氏が、石見国 美濃郡益田村(現在の益田市)から金山彦命を勧請して、同時に大山祇命も合祀し、五社大権現と称したという説と、領主の大内氏によって大永年間に建立されたとの説がある。


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