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旧海軍司令部壕 [ ┗古戦場をふらふら]

那覇市と豊見城市の境の丘の上
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海軍濠公園というところ
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墓地かな…

ビジターセンター&資料館
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ここから地下に入っていくと旧海軍司令部壕に入れます。

wiki>1944年(昭和19年)、太平洋戦争において日本軍の敗色が濃厚となり戦線が南西諸島付近まで後退したため最前線となった沖縄の軍備が強化されることになった。沖縄における重要な軍事拠点の一つであった小禄飛行場(後の那覇空港)を守るための防空壕を建設することになり、飛行場を南東から見下ろす標高74mの火番森あるいは七四高地と呼ばれる丘が選定された。

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wiki>司令部壕は1944年8月10日に着工されたが、本格的な工事は10月10日の十・十空襲以降に始められ同年12月に完成した。海軍第226設営隊(山根部隊)の約3000名が設営にあたり、ほとんどの工事はつるはしなどを用いた手作業で行われた。小禄地区周辺にはこの他にも多数の防空壕が建設され多くの住民が動員されたが、海軍司令部壕は最高軍事機密であったため民間人は近付くことも許されず工事は軍隊の手のみによって行われている。

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wiki>5月半ばになるとアメリカ軍は那覇市街地に迫り、首里付近に集結していた陸軍は5月22日に沖縄本島南端部への撤退を決め、小禄司令部壕を守っていた海軍もこれに合流するため武器の一部を廃棄して5月26日から移動を開始したが、命令の行き違いがあり5月28日に小禄司令部壕へ引き返している。6月に入ってアメリカ軍の攻撃が激しくなったため陸軍との合流は断念せざるを得なくなり、海軍は司令部壕付近に孤立する状況となった。

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wiki>6月4日午前5時、アメリカ軍は小禄飛行場の北部に上陸し司令部壕のある那覇市南西部を包囲した。包囲が次第に狭められていく中で壕内に重火器はほとんど残っておらず、歩兵による突撃で応戦するのが精一杯の状況となった。

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wiki>海軍部隊司令官の大田実少将は6月6日に海軍次官宛に有名な
『…沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ』という訣別電報を打った後、
豊見城の海軍司令部壕内で6月13日頃に自決した。

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コメント 2

stop!

ここは岩盤をくりぬいた感じのようですね。
by stop! (2013-10-03 19:41) 

Sazaby

>stop!さん
 普通に人が通れる高さですから掘るのは大変だったでしょうね( ;谷)
by Sazaby (2013-10-03 20:44) 

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