御廟前
拝殿御廟 江戸初期のもので桃山様式の彫刻も見られます。
唐門 常陸国土浦城主 松平伊豆守の寄進ということで三つ葵も
こちらは
勢至堂 重文 知恩院で一番古い建物(1530年)
こちらには勢至菩薩がおられますが、法然の幼名が勢至丸であり、勢至菩薩の生まれ変わりと考えられているようです。
つまり、法然の本地仏の勢至菩薩を安置するお堂です。
さらに奥の方には
千姫の墓 位牌は別の場所にあったものですが
千姫のお墓の後ろには濡髪大明神
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江戸初期、知恩院第32世 霊巖上人の枕元に、濡れ姿でシクシクとすすり泣く童子が現れました。この童子は古くからこの御影堂の地に住む白狐であり、御影堂が建設されたために住処をなくしたとのことでした。あわれに思った霊巖上人は、童子のために寝ぐらを作ってやりました。
後日、再び枕辺に現れた童子は、お礼に知恩院を火災から守ることを誓い、その証に御影堂の軒下に傘を置いていったと言い伝えられています。
その後、上人はその童子を濡髪童子と名づけ、祠におまつりしたといわれます。この白狐は
荼枳尼天 日本で稲荷信仰と習合したインドの神様。 またそのうち出てくるかと。
後は集会堂など拝観しながら
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