かつての京大仏の遺物
大仏の眉間にあった仏像らしい。 かつての姿は大日如来?
wiki>
東大寺の大仏より大きい18mの大きさであったという。また釘などは刀狩で没収した武器の再利用されたものも使われた。しかし、1596年(慶長1年)慶長伏見地震により倒壊した。その後、豊臣秀頼により再建されたが、1798年(寛政10年)落雷による火災で焼失した後は同様の規模のものは再建されなかった今ある遺物は2代目の秀頼の時のものです。(他は木造)
台座の遺物
大仏殿図面
今の豊国神社の西側に不自然に広い正面通りという通りがありますが、
その道が大仏殿の正面らしい。大仏殿は西向きだったみたいです。
大仏殿の欄干にあったとされる龍
左甚五郎作(伝)
大黒天像wiki>
桓武天皇の勅命により最澄(伝教大師)が延暦寺を建立するため比叡登山中のお告げにより彫刻されたと伝えられるものである。
さらにその像を秀吉が気に入り1/10サイズで作らせ手元に置いたとされる小さい像ととも大黒天堂に安置されている。正面通りにある
耳塚を横目に見ながら次の場所へ