1/29 13:00 熊野速玉大社の摂社 神倉神社に来ました。
wiki>『古事記』『日本書紀』によれば、神倉山は、神武天皇が東征の際に登った天磐盾(あめのいわたて)の山であるという。このとき、天照大神の子孫の高倉下命は、神武に神剣を奉げ、これを得た神武は、天照大神の遣わした八咫烏の道案内で軍を進め、熊野・大和を制圧したとされている
鳥居鳥居から石段が続くんですが、すぐ足が止まります。
先が見えない… Σ(○ Д ○;)
振り返っても… 生命の危険を感じます…
神倉山の石段wiki>石段は538段を算し、自然石(花崗岩)を組み合わせて築かれたもので、幅は平均約4メートル、高さと奥行きは一定ではないが、おおよそ高さ25センチメートル、奥行きは30から40センチメートルである[8]。一般には建久4年(1193年)に源頼朝が寄進したと伝えられるが、わずかに『熊野年代記』の記事がその旨を伝えるに過ぎない。30cm毎に25cmの高さということはですよ、傾斜は30~40°ぐらいあるわけで… 平均でね…
途中 お参りする振りして休みながら
それでも石段を上り続け10分もすると
鳥居が見えてきます。
神倉神社の手水鉢wiki>新宮城第2代城主の水野重良から寄進されたものやっと拝殿に到着(最後まで石段があったのにはガクッときたけど)
天照大神、
高倉下命が祀られているようです。
社の上にあるのが
ゴトビキ岩 御神体です。この磐座信仰から神倉神社→速玉神社へと発展したようです。
先に記述した、
天磐盾がこの岩でないかという話。
昨日の記事の速玉大社で見た曼荼羅の左上に描かれています。
眺望 熊野川が太平洋に流れ込む様が見ることが出来ます。
新宮城
ここに来る前にアプローチしてみましたが、駐車場が分からなくて断念しました(;つД`)