館城跡へ
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明治元年に起こった箱館戦争により、箱館を占領した榎本武揚ら旧幕府軍は、土方歳三を総督と定めて松前城を陥落せしめ、松前藩兵らは檜山郡に新築した館城に退却。旧幕府軍はただちに松前残兵追討を開始し、11月15日に館城攻めが行われた。謎の櫓
ミニ資料館
ミニ資料館と厚沢部町HPによると、
明治元年
9月初旬 館城 築城開始
10月26日 五稜郭を土方らが占拠 (館城 完成?)
11月 5日 松前城 落城
11月15日 館城 落城
完成から1月も存在してない短命のお城だったようです。
全体図 道路の左側が居館エリア、右側が防御遺構があるようなんですが、
どっちから敵がくる想定なんだろ…
まずは建物跡側を
三上超順力試之石松前藩法華寺の僧。松前藩正義隊隊長。ミニ資料館によると左手にまな板を持ち銃弾を防ぎ、右手に大刀をもって旧幕軍を切り倒したと。
井戸跡建物跡まあ史跡って感じ
道路の反対側の丘の方を
土塁、百閒掘あとは斜面にいくつも
タコツボ跡らしいものが
写真だとちょっと分かりづらいですね
ほかにめぼしい遺構は見当たりません(気が付きません)でした。全体像がぼんやりしたままですが、
現在このお城は発掘調査の途中。
厚沢部町HP今後どうなっていくのか楽しみです。
館城を後に函館方面へ
ナビの示した道がすごく遠回りだったので無視して走ってたら…
最近のナビは賢いものだ…(´・ω・`)