新庄城 [ ┗北海道・東北のお城]
新庄城
wiki>新庄城は、新庄藩6万石(のちに6万8200石)の本拠として寛永2年(1625年)、戸沢政盛により現在の山形県新庄市堀端町に築城された平城。本丸の南側に出丸のように小さな二の丸が並列状に配置され、その外側を三の丸が囲む形である。本丸及び二の丸、三の丸の堀の水は城の北を流れる差指野川(さすのかわ)から引かれた。三の丸堀(二の堀)の反対側に当たる現在の堀端町は、家老などが住む侍屋敷があった。 最上氏改易後に入封した戸沢政盛は当初真室城(鮭延城)に入城したが、手狭であることと、山城のための不便さから幕府に願い出て、当地に築城した。なお、縄張は同一時期に山形城に入封した鳥居忠政によるものである。
現在 城跡は最上公園となってます。本丸には新荘護國神社、戸沢神社などが
先の歴史館は二の丸の大手門付近です。
本丸⇔二の丸間のお堀
表御門の枡形跡
本丸南側の土塁 結構な高さです。古図をみると二重の櫓が建ってたみたい。
ぱっと見てそれらしい遺構はこの石垣と土塁ぐらいかな
あとは草むらに標識がたってるくらい。
本丸北側の堀跡は埋められて緑地に
wiki>新庄城は、新庄藩6万石(のちに6万8200石)の本拠として寛永2年(1625年)、戸沢政盛により現在の山形県新庄市堀端町に築城された平城。本丸の南側に出丸のように小さな二の丸が並列状に配置され、その外側を三の丸が囲む形である。本丸及び二の丸、三の丸の堀の水は城の北を流れる差指野川(さすのかわ)から引かれた。三の丸堀(二の堀)の反対側に当たる現在の堀端町は、家老などが住む侍屋敷があった。 最上氏改易後に入封した戸沢政盛は当初真室城(鮭延城)に入城したが、手狭であることと、山城のための不便さから幕府に願い出て、当地に築城した。なお、縄張は同一時期に山形城に入封した鳥居忠政によるものである。
現在 城跡は最上公園となってます。本丸には新荘護國神社、戸沢神社などが
先の歴史館は二の丸の大手門付近です。
本丸⇔二の丸間のお堀
表御門の枡形跡
本丸南側の土塁 結構な高さです。古図をみると二重の櫓が建ってたみたい。
ぱっと見てそれらしい遺構はこの石垣と土塁ぐらいかな
あとは草むらに標識がたってるくらい。
本丸北側の堀跡は埋められて緑地に
わずかばかりの石垣ですが、なかなかいい感じの石垣ですね。^^
by stop! (2013-04-23 20:06)
>stop!さん
できれば枡形のまま残してほしかったですね
by Sazaby (2013-04-23 22:51)