神仏霊場巡拝の道 56番 観心寺へ
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役小角(役行者)が開創し、当初、雲心寺と称したとされる。その後、大同3年(808年)、空海がこの地を訪れ、北斗七星を勧請したという。これにちなむ7つの「星塚」が現在も境内に残る(なお、北斗七星を祭る寺は日本では観心寺が唯一である)。鎮守堂 訶梨帝母堂 重文
訶梨帝母=鬼子母神ですね
金堂 国宝御朱印本尊は
木造如意輪観音坐像 国宝如意輪観音像の代表作とされるもので秘仏なんですがこの日ちょうど御開帳されてました。
写真はないんですがもらったしおりを
弘法大師礼拝石後ろの鉄燈籠も重文です
(多分)もう少し 境内の様子を