観心寺 正成首塚 [ ┗大阪 豊楽の道]
観心寺 続き
建掛塔 重文
wiki>境内にある建掛塔(たてかけとう)は、一見、普通の仏堂のように見えるが、三重塔の一重目だけが建てられた、未完成の建築である。伝承によれば、楠木正成は、建武の新政の成功を祈願して三重塔の建立を発願したが、造営なかばで湊川の戦いで討ち死にしたため、建築が中断され、そのままになっているという。
たしかに単層の建築物にしてはたいそうな組物ですね。
中には大日如来と思われる仏像が。
鍾堂
御影堂
後村上天皇陵
南朝二代目の天皇です。京の奪還を目指しここに御座所を置いていたことがあるようです。
開山堂
楠木正成首塚
wiki>後醍醐天皇は当寺を厚く信任され、建武新政後(1334年頃)、楠木正成を奉行として金堂外陣造営の勅を出され、 現在の金堂ができた。正成自身も報恩のため三重塔建立を誓願される。延元元年(1336年)、神戸の湊川で討死後、正成の首級が 当寺に送り届けられ、首塚として祀られている。
宝物館にいくと楠公の鎧も見れたと思います。
空海が北斗七星を勧請したという名残の星塚のひとつ
7つありますが、北斗七星の形になっているわけでもなさそう
建掛塔 重文
wiki>境内にある建掛塔(たてかけとう)は、一見、普通の仏堂のように見えるが、三重塔の一重目だけが建てられた、未完成の建築である。伝承によれば、楠木正成は、建武の新政の成功を祈願して三重塔の建立を発願したが、造営なかばで湊川の戦いで討ち死にしたため、建築が中断され、そのままになっているという。
たしかに単層の建築物にしてはたいそうな組物ですね。
中には大日如来と思われる仏像が。
鍾堂
御影堂
後村上天皇陵
南朝二代目の天皇です。京の奪還を目指しここに御座所を置いていたことがあるようです。
開山堂
楠木正成首塚
wiki>後醍醐天皇は当寺を厚く信任され、建武新政後(1334年頃)、楠木正成を奉行として金堂外陣造営の勅を出され、 現在の金堂ができた。正成自身も報恩のため三重塔建立を誓願される。延元元年(1336年)、神戸の湊川で討死後、正成の首級が 当寺に送り届けられ、首塚として祀られている。
宝物館にいくと楠公の鎧も見れたと思います。
空海が北斗七星を勧請したという名残の星塚のひとつ
7つありますが、北斗七星の形になっているわけでもなさそう
観心寺の前のちょっとレトロな作りのお茶屋さんのわらび餅は有名ですよ
by みぃにゃん (2012-09-13 11:19)
建掛塔はいわれてみれば確かに一重目の部分ですね。
とっても面白いデス。^^
by susumu (2012-09-13 19:05)
>みいにゃんさん
ちょうど縁日だったので、境内にでてたお店で何かお餅を買いましたよ(^ ^)
車が汚れるのでわらび餅は選択しなかったですが、なんだったかな^^;
梅味だった気もします
>susumuさん
依頼主がいなくなったら仕事を放棄するとはたいした棟梁ではないですねヽ(´o`;
by Sazaby (2012-09-13 19:26)