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日本最初毘沙門天 神峯山寺 [ ┗大阪 豊楽の道]

こんどは高槻市の山の中…
神仏霊場巡拝の道 64番 神峯山寺へ HP
DSC07730.jpg wiki>「神峯山寺秘密縁起」によれば、文武天皇元年(697年)に役小角が葛城山(金剛山・葛城山)で修行をしていた時、北方の山から黄金の光が発せられて霊感を受け神峯山寺に位置する場所にやってきた。そこで天童(金比羅飯綱大権現)と出会い、天童の霊木で四体の毘沙門天が刻まれ、役小角は伽藍を建立し毘沙門天を祀ったことが起源とされている。

さらに縁起によれば、刻まれた残り三体の毘沙門天は天高く飛散し、一体はかつて神峯山寺奥之院「霊雲院」であった北山本山寺に、一体は京都市左京区の鞍馬寺に、一体は奈良県生駒郡平群町の信貴山に安置されたと伝わっている。これら寺院の本尊は現在も毘沙門天であるが、この逸話はあくまで神峯山寺の縁起によるものであり関連は定かではない。


山門
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白竜王大権現
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本堂
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本尊は3体の毘沙門天 いずれも秘仏で見ることはできません。
第一の本尊、毘沙門天
毘沙門天を中尊とし、吉祥天(毘沙門天の妃または妹とされる)と善膩師童子(ぜんにしどうじ。毘沙門天の子とされる)を脇侍とする三尊形式をとり、本堂内陣中央に安置される。皇室や幕府は国家安泰の神としてこの毘沙門天を厚く信仰した。また子授安産、家庭安穏の御仏としても利益があるとされる。

第二の本尊、兜跋毘沙門天
本堂奥内陣に安置される。福徳先勝の神として楠木正成や松永久秀などの武将から、また商売繁盛の神として大坂商人からも厚い信仰を受けた。神峯山寺で年に一度行われる秋の大祭にて開帳され、その折にのみ拝観が可能である。

第三の本尊、双身毘沙門天
歴代住職の持仏として本堂中内陣の厨子に安置される。天台密教における双身毘沙門天の祈願作法は秘法で、天台本流の作法が正式に伝承されている。

御朱印
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よく見れば朱印に毘沙門天の使いムカデが。

観音堂
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弁天社
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菩提樹
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開山堂
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wiki>役小角が伽藍を建立したとされる場所に位置する。本堂脇から石造の階段を上り参拝が可能だが、急勾配のため注意が必要。堂内には役小角とその遣いの鬼・藍婆(らんば)、毘藍婆(びらんば)が安置されている。神峯山寺初寅会の折のみ開帳され、参拝が可能。

東堂
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wiki>宇賀神王を本尊とする。如意輪観音、龍神が安置されている。

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コメント 2

susumu

弁天社や庭園の苔生し具合が素晴しいですね。
長い歴史を感じます。^^
by susumu (2012-10-28 19:37) 

Sazaby

>susumuさん
 周囲の山といい感じに同化していました^^
by Sazaby (2012-10-28 21:28) 

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