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神仏霊場巡拝の道 117番 音羽山 清水寺へ
仁王門 重文
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三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺きで、正面左右に鎌倉時代末期の金剛力士(仁王)像を安置する。
室町時代の建立で、馬駐(うまとどめ)、鐘楼とともに寛永6年(1629年)の大火をまぬがれた。手前のあんぐりした狛犬は清水寺の狛犬でなくて、地主神社のものとwikiには書いてあるがほんとかな~?
清水寺の
HPにはこの狛犬も普通に紹介されてますが。
仁王門手前にある、
善光寺堂洛陽三十三所観音霊場の札所ですね。如意輪観音も祀られています。
鐘楼HP>
慶長12年(1607)の再建で、平成11年(1999)に彩色復元三重塔 重文
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寛永再興時の再建。高さ30.1メートル。昭和62年(1987年)に完了した解体修理により、外部の極彩色が復元されている。
内部には、曼荼羅の密教世界が造形されて、中央には大日如来が安置されている。田村堂 重文
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寛永再興時の再建。内部には開放形の厨子内に坂上田村麻呂夫妻像を安置し、その向かって左に行叡と延鎮の像を祀る。
鹿を捕えようとして音羽山に入り込んだ坂上田村麻呂(758年 - 811年)は、修行中の賢心に出会った。
田村麻呂は妻の高子の病気平癒のため、薬になる鹿の生き血を求めてこの山に来たのであるが、延鎮(賢心)より殺生の罪を説かれ、観音に帰依して観音像を祀るために自邸を本堂として寄進したという。ということらしいです。
随求堂wiki>
もとは塔頭慈心院の本堂で、慈心院を中興した僧・盛松により、享保20年(1735年)に建立された。
本尊の秘仏・大随求菩薩像は八臂の坐像で、享保18年(1733年)の作である。
堂の地下の暗闇を歩く「胎内めぐり」が行われている。北総門 重文 もとは塔頭 成就院の正門
門の向こうに石碑が見えます。
ひとつは
月照上人の歌碑。月照上人は
西郷さんと一緒に入水したお坊さんで、成就院の住職だったらしいです。
もうひとつは月照上人の弟、信海上人の歌碑。そして西郷さんの弔歌碑ということです。
轟門 重文
門の手前にそれと分からない程度に
轟橋という橋が架かってます。
彼岸と此岸を分かつ橋でしょうか?