こんどは高槻市の山の中…
神仏霊場巡拝の道 64番 神峯山寺へ HP


wiki>「神峯山寺秘密縁起」によれば、文武天皇元年(697年)に役小角が葛城山(金剛山・葛城山)で修行をしていた時、北方の山から黄金の光が発せられて霊感を受け神峯山寺に位置する場所にやってきた。そこで天童(金比羅飯綱大権現)と出会い、天童の霊木で四体の毘沙門天が刻まれ、役小角は伽藍を建立し毘沙門天を祀ったことが起源とされている。



さらに縁起によれば、刻まれた残り三体の毘沙門天は天高く飛散し、一体はかつて神峯山寺奥之院「霊雲院」であった北山本山寺に、一体は京都市左京区の鞍馬寺に、一体は奈良県生駒郡平群町の信貴山に安置されたと伝わっている。これら寺院の本尊は現在も毘沙門天であるが、この逸話はあくまで神峯山寺の縁起によるものであり関連は定かではない。