再び金峰神社から大峯奥駈道を
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再び金峰神社から大峯奥駈道を
高城山山頂
吉野城の詰城ツツジヶ城跡です。
wiki>奈良時代に役行者が開いたとされる大峰山での修験道は、一時途絶えていたが、平安時代に聖宝によって中興されて以降、大いに発展した。その大峰山への入口にあたる吉野山の尾根には数多くの寺院宝塔が建てられた。尾根沿いの地形は天然の要害、寺院宝塔は防禦陣地としても使え、吉野山は元来から中世山城としての性格を備えていたが、護良親王が挙兵し拠点とすると前衛に城塁(支城)を構築し要所に木戸や空堀が設けられたと伝えられる。
現在は展望台として整備されて、遺構と言えるものは残ってはいないようですが
wiki>ツツジヶ城(高城山) - 吉野城の詰城として築かれたと伝わる。山頂部は台地になっており現在は休憩所がある。北側の麓には牛頭天王社跡があり、ツツジヶ城の鎮守として創立されたと伝わる。
ツツジヶ城 鎮守社 牛頭天王社跡