吉野水分神社 [神社]
世界遺産 吉野水分(みくまり)神社へ
霊場「吉野・大峯」の一部 かつ 参詣道大峯奥駈道 第72靡 でもあります。
wiki>創建については不詳である。当社に関する最も古い記録は、『続日本紀』の文武天皇2年(698年)4月29日条で、芳野水分峰神に馬を奉り祈雨したとの記述である。 当神社は、元来は吉野山の最奥部、吉野町、黒滝村、川上村の境に位置する青根ヶ峰に位置したとされる。青根ヶ峰は吉野川の支流である音無川が東へ、喜佐谷川が北へ、秋野川が西へ流れるなどの源流となる山で「水分 = 水配り」の神の鎮座地にふさわしい。大同元年(806年)ごろに現在地へ遷座した。
分水嶺という場所が重要なのかとも思うけど、移って来ちゃったのね。
楼門 重文
wiki>平安時代中期ごろから「子守明神」と呼ばれるようになった。豊臣秀吉もこの地を訪れ秀頼を授かったといわれる。
現在の社殿は慶長10年(1605年)に秀頼によって創建されたものである。
本殿 重文
主祭神は天之水分大神 その名の通り水を司る神様です。
なにげなく置かれているのは
これは世界遺産の認定証みたいな…
神輿
霊場「吉野・大峯」の一部 かつ 参詣道大峯奥駈道 第72靡 でもあります。
wiki>創建については不詳である。当社に関する最も古い記録は、『続日本紀』の文武天皇2年(698年)4月29日条で、芳野水分峰神に馬を奉り祈雨したとの記述である。 当神社は、元来は吉野山の最奥部、吉野町、黒滝村、川上村の境に位置する青根ヶ峰に位置したとされる。青根ヶ峰は吉野川の支流である音無川が東へ、喜佐谷川が北へ、秋野川が西へ流れるなどの源流となる山で「水分 = 水配り」の神の鎮座地にふさわしい。大同元年(806年)ごろに現在地へ遷座した。
分水嶺という場所が重要なのかとも思うけど、移って来ちゃったのね。
楼門 重文
wiki>平安時代中期ごろから「子守明神」と呼ばれるようになった。豊臣秀吉もこの地を訪れ秀頼を授かったといわれる。
現在の社殿は慶長10年(1605年)に秀頼によって創建されたものである。
本殿 重文
主祭神は天之水分大神 その名の通り水を司る神様です。
なにげなく置かれているのは
これは世界遺産の認定証みたいな…
神輿
世界遺産の認定証がこんなところに・・・^^
祭礼のあとでしょうか。
桜が綺麗ですね。^^
by susumu (2012-09-21 20:05)
>susumuさん
がらくたの中に置いてあるのかと思いました(笑)
なにかの道具を一応展示してあるっぽいですね^_^;
by Sazaby (2012-09-21 20:12)