本殿 重文 承応3年(1654年)
本殿と拝殿がくっついた(ひとつの屋根で覆った)「祇園造」
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| 祭神は
中御座 素戔嗚尊:スサノオ
東御座 櫛稲田姫命:クシナダヒメ スサノオの奥さん
西御座 八柱御子神:スサノオの子供達
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かつて観慶寺というお寺があり、別名を
祇園寺といいました。
そのお寺の境内にあった天神堂が八坂神社の前身です。
そのうち延暦寺の支配下に収まります。
「平清盛」で清盛が射抜いた延暦寺の僧兵が担いでいた神輿が祇園社のものでしたね。
八坂神社になる前の祭神は上のとは別でした。
中御座
牛頭天王東御座 八王子:牛頭天皇の子供達
西御座 頗梨采女:牛頭天皇の后
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牛頭天王とは、日本の神仏習合における神である。
京都東山祇園や播磨国広峰山に鎮座する神であり、蘇民将来説話の武塔天神と同一視された。
インドの釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされ、祇園神という祇園信仰の神である。
陰陽道では天道神と同一視された。神仏習合では薬師如来の垂迹であるとともに、スサノオの本地とされた。
現在の八坂神社にあたる感神院祇園社から勧請されて全国の祇園社、天王社で祀られた。で、神仏分離令によって全国の祇園社、天王社の祭神はスサノオに強制されてしまうのでした。
もともと同一視されていたので、ころっと別の神にすり替えられたとかそういう訳ではないんですが。
御朱印あとは摂社、末社などを回って
蛭子社 重文
社殿は重文
石鳥居 重文