関ヶ原決戦の地碑笹尾山陣跡三成の陣跡です。
島左近こと
島清興陣跡
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関ヶ原の戦い本戦においては、最初は西軍有利に進み、左近も自ら陣頭に立ち奮戦するが黒田長政の鉄砲隊に横合いから銃撃され負傷、一時撤退する(この時、死亡したとも)。正午過ぎ、小早川秀秋の寝返りを皮切りに西軍は総崩れとなった。左近は死を覚悟して再び出陣、正面の田中吉政・黒田長政らの軍に突撃し、奮戦した末に敵の銃撃により討ち死。三成陣跡あたりから
桃配山は陰で多分見えてないけど、右奥が毛利軍の陣取った南宮山あたりか
小早川隊の陣取った松尾山方面