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慶長19年(1614年)に、五島氏の当時の居城・江川城が焼失。代わって寛永14年(1637年)に石田陣屋を藩庁にした。五島氏は築城を幕府に願い続けたが、藩の財政難もありなかなか実現しなかったが、異国船を監視、海上防衛に備えるとの目的で、幕末の嘉永2年(1849年)、五島盛成の代に築城が認められた。盛成は海辺への築城に際し、福江川河口に、今日でいう灯台にあたる常夜灯「常灯鼻」を弘化3年(1846年)に建設、さらに波の影響から城を守るため、陸へと続く導水堤(防波堤)を嘉永元年(1848年)に完成させた。海城の築城には財政難や海沿い特有の問題もあり、竣工までに14年の歳月を要したが、最後の藩主である盛徳の代になった文久3年(1863年)になり、ようやく念願であった居城を完成させた。石垣は立派に残ってますので、石垣を見ながらふらふら。
五島氏庭園ここは数少ない残された城郭内の庭園のひとつ。 が、行ったこの日はお休みだったのです… ┐(´д`)┌
続く