施設入口 冠木門になってます。
武家屋敷入口
会津藩家老 西郷頼母邸が再現されているということです。
門の脇には長屋が。 第二資料館となってます。
家臣や門番が住んでいたんでしょうね。
その内の一間 独身の家臣のお部屋
8畳一間 まあそんなもんでしょう
さらに奥の部屋には自刃の間の再現場面…
逆さになった屏風がリアルです…
wiki>1868年(明治元年)、戊辰戦争の勃発によって容保から家老職復帰を許された頼母は、江戸藩邸の後始末の任を終えたのち会津へ帰還する。このとき、頼母を含む主な家老、若年寄たちは、容保の意に従い新政府への恭順に備えていたが、新政府側からの“容保親子の斬首”要求に態度を一変した。やむなく頼母も白河口総督として白河城を攻略し拠点として新政府軍を迎撃したが、伊地知正治率いる薩摩兵主幹の新政府軍による攻撃を受けて白河城を失陥(白河口の戦い)。その白河城の奪還を果たせず、会津防衛に方針転換してからは進入路に当たる峠の1つを守っていたが、他方面の母成峠を突破されたために、新政府軍には城下へ侵入されてしまった。
そこで若松城に帰参した頼母は、再び恭順を勧めた。しかし会津藩士の多くは、なおも新政府への徹底抗戦を主張。意見の折り合わぬ頼母は、長子・吉十郎のみを伴い城から脱出することとなった。なお、母や妻子など一族21人は頼母の登城後に自邸で自刃した
右に立っているのが政府軍(薩摩藩 中島何某と書いてあります) こっちをにらんでいて怖いんです…
>弾雨を避け邸内に入った薩摩藩中島信行が、死に切れず息も絶えだえの少女から介錯を求められ、涙ながらこれに応じた悲劇を再現したものである。
屋敷 表玄関
屋敷の中から
もう少し続きます。