獅子ヶ谷城を下り横溝屋敷

横溝屋敷HP>横溝家は16世紀末、慶長年間に獅子ヶ谷村の名主を務めて以来、江戸時代を通じて代々名主を務めた家柄で、現在17代目を数えます(初代は横溝五郎兵衛(ごろべえ))。当家は江戸時代には、鶴見川の沖積地を開墾して水田を拓き、二ツ池や溜井を確保し、村内に本覚寺を建立するなど多大の貢献をしてきました。また明治期には、養蚕や製茶業も盛んに行っていました。屋敷地が谷戸(やと)の入り口の御園(みその)と称される最良地に位置するのも以上のような歴史的な背景に由来するものと考えられます。