東郷池

wiki>古くは入江であり、砂の堆積により海と隔てられて潟湖になったと考えられている。北側の海との間にある丘陵・馬ノ山には馬ノ山(橋津)古墳群があり、当地の港を支配した豪族のものといわれる。鎌倉時代の正嘉2年(1258年)に描かれた東郷荘絵図にはほぼ現在のものと同じ様子が描かれている。また、現在日本海に直接流れ込んでいる天神川は江戸時代の河川改修までは橋津川に合流していた。一説に古くは東郷池に直接流れ込んでいたという。