眼鏡橋 重文
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1634年(寛永11年)興福寺の2代目住職、黙子如定(もくすにょじょう)が架けた。1648年(慶安元年)の洪水で損壊するが、平戸好夢が修復している。その他は高欄が破損して修復したと見られる形跡があるものの、流失することなく度重なる水害に耐えてきた。黙子如定像商店街を抜けて思案橋駅方面へ
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この付近にはかって玉帯川が流れ、花街時代、遊郭へ“行こうか戻ろか”と思案したので名付けられたという遊郭への門前橋、思案橋が架かっていた。玉帯川はいまや路面電車の下の地下に。欄干のモニュメントだけが残ってます。
少し離れたどっかに石の欄干が残ってるみたいですが。