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東海道 袋井宿〜見付宿 その四 [ ┗東海道]

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鎌倉時代の古道

その先が不明だったので行かなかったけど、多分山の上で合流するものと思われ

こちらは江戸時代の道






多分これが鎌倉時代の古道が合流するところ


大日堂

本田平八郎物見の松があったらしい
これが撤退しながら忠勝が見た景色か



wiki>先行していた本多・内藤率いる偵察隊は武田の先発隊と遭遇する。偵察隊はすぐに退却するも、武田軍は素早い動きで徳川軍を追撃し始め、太田川の支流・三箇野川や一言坂で戦いが始まる。
徳川軍の望まぬ形で開戦し、また兵の多寡もあり、家康は撤退を決める。本多忠勝と大久保忠佐は徳川本隊と内藤隊を逃すために殿(しんがり)を務め、一言坂の下という不利な地形に陣取った。急戦で陣形もままならぬ本多隊を、武田軍先鋒の馬場信春隊が突撃し、3段構えの陣形のうちの第2段までを打ち破った。また、信玄の近習である小杉左近は、本多隊の退路を阻むために、本多隊の後方(一言坂のさらに下)に先回りし、鉄砲を撃ちかけた。
これに対し、忠勝は、大滝流れの陣をとり、坂の下で待ち受ける小杉隊に敵中突破し逃走を図る。これは無謀な突撃で本多隊は死兵であったが、左近はこれを迎え撃たず、道を空けるように指示して本多隊を見逃す。このとき、忠勝は左近に名を聞き感謝の言葉を述べたと言われる。

家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八」を残したのがその小杉左近という話
木原畷→三箇野川→見附→一言坂→天竜川渡河までの本多忠勝の活躍がいかに目覚しいものだったか
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