於曽屋敷跡 その弐 [ ┗関東・甲信越のお城]
山梨の旅 最後
於曽屋敷北東の隅あたり
整備中って感じで良いです
多分フェンスの向こうは私有地かなと
結局 周囲の土塁しか残ってない(認識できない)わけだけど いかにも館跡って感じ
説明板の前に止めてサボってやがって クリーンエネルギーってエンジン掛けっぱなしだったけどな
甲州市にクレーム入れてやろうかとイラっとした
塩山駅へ戻ってレンタサイクルを返却 正直正しく返せたのか不安だったけど(ICカードで借りるやつ)
塩山駅→恵林寺→山梨駅→勝沼氏館→塩山駅で33km まあチャリなんでなんとか
歩いたら死んでたよ…
塩山駅から帰宅
欠損してる部分も石碑に再現してるっぽい
於曽屋敷北東の隅あたり
整備中って感じで良いです
多分フェンスの向こうは私有地かなと
結局 周囲の土塁しか残ってない(認識できない)わけだけど いかにも館跡って感じ
説明板の前に止めてサボってやがって クリーンエネルギーってエンジン掛けっぱなしだったけどな
甲州市にクレーム入れてやろうかとイラっとした
塩山駅へ戻ってレンタサイクルを返却 正直正しく返せたのか不安だったけど(ICカードで借りるやつ)
塩山駅→恵林寺→山梨駅→勝沼氏館→塩山駅で33km まあチャリなんでなんとか
歩いたら死んでたよ…
塩山駅から帰宅
wiki>現存最古の日章旗としては、山梨県甲州市の裂石山雲峰寺所蔵のものが知られている。これは天喜4年(1056年)に後冷泉天皇より源頼義へ下賜されたという伝承があり、「御旗」(みはた)と呼ばれて、頼義三男の新羅三郎義光から、義光の系譜に連なる甲斐源氏宗家の甲斐武田家に代々伝えられて家宝とされてきた。『甲斐国志』では長さ六尺四布とあるが、現在は約1/4が欠損している。この伝承が事実であれば、遅くとも11世紀半ばには「白地赤丸」の日の丸が存在していたことになる。真偽のほどは不明ではあるが、中世前半に遡る遺例として貴重であろう。
欠損してる部分も石碑に再現してるっぽい
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