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国1沿い(下り)の道の駅
国1沿い(下り)の道の駅
wiki>蔦の細道は、「宇津の山越え」とよばれた道で、7世紀の律令時代には伝馬の道として使われた。よく知られるようになったのは、平安時代前期の文学作品『伊勢物語』が書かれたときからで、歌人である在原業平が、当時の道がツタやカエデなどが生い茂って覆われており、薄暗くてさびしい道の様子を『伊勢物語』のなかで「駿河なる宇津の山べのうつつにも 夢にも人にあはぬなりけり」と記した。「蔦の細道」とよばれるようになったのは江戸時代からで、この業平の逸話から名付けられたと考えられている。『伊勢物語』によれば、左遷された業平が京都から武蔵国に向かう途中で宇津山の峠に差し掛かり、生い茂った木々に蔦(ツタ)や葛(クズ)がからんでおり細くて暗い道を見て、その暗く恐ろしげな様子に心細くなってしまった。そんな場所で修行者に出会いよく見ると偶然にも業平の京の知人であったので、その知人に京都にいる人宛ての手紙を託したという。