井伊谷 その拾弐 龍潭寺 [寺]
龍潭寺 墓所
鈴木重時墓
新野左馬助(おそらくは親矩)墓
中野氏墓所
三代目の中野直由は直親の後見人
井伊家墓所
こちらは共保(右)と直盛
龍潭寺の奥に抜けて井伊谷宮へ
鈴木重時墓
新野左馬助(おそらくは親矩)墓
中野氏墓所
三代目の中野直由は直親の後見人
wiki>井伊谷三人衆(いいのやさんにんしゅう)は、永禄11年(1568年)末に徳川家康が遠州攻めを行った際に今川氏真から徳川方へ離反した近藤康用、菅沼忠久、鈴木重時の3人のことをいう。
遠州浜名湖の沿岸部を有する領主たちは、今川氏への忠誠心が比較的強かったため、家康は遠江侵攻の障害となることを危惧していた。そこで事前に、東三河の菅沼定盈を使って懐柔工作に動いた。定盈は、同族のよしみで菅沼忠久に接触。忠久が縁戚の鈴木重時を抱き込み、近藤康用まで取り込んだ。 これにより家康は、強固な浜名湖西岸部よりも防備の弱まった井伊谷から三河主力軍を進めて、曳馬城の年内陥落という早期制圧にこぎつけたのである。 この3人は家康の命を受けて、後に徳川四天王の一人である井伊直政の配下に付けられた。だが、いずれも後に井伊家を離れている。
井伊家墓所
五基並ぶうちの右から2つ目が直虎中央が直親
直虎 直親
こちらは共保(右)と直盛
龍潭寺の奥に抜けて井伊谷宮へ
キャラの直虎ちゃん・・・出世法師なんですね。(広報をよく読みました。)
by hanamura (2017-01-10 21:30)
直虎は出世してないのに…
出世したというより飛ばされた人が多い印象ですが(笑)
by Sazaby (2017-01-11 20:40)