浜松・家康が歩いたみち その拾 犀ヶ崖古戦場 [ └歩きたくなるみち 静岡県]
浜松城から1kmちょっと犀ヶ崖(さいががけ)古戦場
wiki>一矢報いようと考えた家康は大久保忠世、天野康景らに命令し、浜松城の北方約1キロにある犀ヶ崖付近に野営中の武田軍を夜襲させる(犀ヶ崖の戦い)。この時、混乱した武田軍の一部の兵が犀ヶ崖の絶壁から転落したり、崖に誘き寄せるために徳川軍が崖に布を張って橋に見せかけ、これを誤認した武田勢が殺到して崖下に転落したなどの策を講じ、その結果、多数の死傷者を出したという。
崖の方は緑が生い茂って見えませんが、人工的な川になっているようで今でも落ちたら死ねます
鼠小僧次郎吉の墓
なんでここにあるかは不明… なんか書いてあったかな??
三方ヶ原の戦いで殿を務めた本多忠真の顕彰碑
夏目吉信顕彰碑
wiki>元亀3年(1573年)の三方ヶ原の戦いの時、家臣が止めるのも聞かず決死の突撃をしようとする家康を逃がすべく、家康の兜と馬を以って武田勢に突入。身代わりとなって戦死した。
散歩はまだ続きますが、家に帰ったら市の広報誌で家康くんもここを紹介してました。
wiki>一矢報いようと考えた家康は大久保忠世、天野康景らに命令し、浜松城の北方約1キロにある犀ヶ崖付近に野営中の武田軍を夜襲させる(犀ヶ崖の戦い)。この時、混乱した武田軍の一部の兵が犀ヶ崖の絶壁から転落したり、崖に誘き寄せるために徳川軍が崖に布を張って橋に見せかけ、これを誤認した武田勢が殺到して崖下に転落したなどの策を講じ、その結果、多数の死傷者を出したという。
崖の方は緑が生い茂って見えませんが、人工的な川になっているようで今でも落ちたら死ねます
鼠小僧次郎吉の墓
なんでここにあるかは不明… なんか書いてあったかな??
三方ヶ原の戦いで殿を務めた本多忠真の顕彰碑
夏目吉信顕彰碑
wiki>元亀3年(1573年)の三方ヶ原の戦いの時、家臣が止めるのも聞かず決死の突撃をしようとする家康を逃がすべく、家康の兜と馬を以って武田勢に突入。身代わりとなって戦死した。
散歩はまだ続きますが、家に帰ったら市の広報誌で家康くんもここを紹介してました。
この現場は、怖いです!ホント!夜は、避けていました。
私の浜松での僑居に、近づいてまいりましたがぁ・・・。
散歩道のコースが、この後どっちだったかなぁ~?
by hanamura (2016-04-28 06:17)
昔はよく知りませんが、前の道路は結構広くなってるんじゃないでしょうかね?
(姫街道も舘山寺街道も)
by Sazaby (2016-04-28 20:30)