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人穴富士講遺跡 [ ┗世界遺産をふらふら]

富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成遺産
人穴富士講遺跡
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30年ぶりの訪問…

浅間神社
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人穴
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当時は中へ入れた記憶があるんだけど、現在は封鎖されています。

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wiki>主洞は高さ1.5m、幅3m、奥行き約90m。最奥からさらに細い穴が伸びており、神奈川県の江ノ島に通じるとの伝説もある。江戸時代には富士信仰の修行の場ともなっていた聖地で、富士講の開祖である角行は、永禄元年(1558年)に人穴にやってきて、修行をしたと伝わる。また富士講信者は、富士参詣(登山)をすませると聖地人穴に参詣にやって来て、宿泊したとされる。現在も洞内にはその時代に作られたとされる石仏が安置されている。
当時にもそんな話を聞いた気がする。

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wiki>233基の碑塔からなる。 建立年代のわかる碑塔は89基ある。富士講が隆盛した18世紀末から19世紀前半に建立されたものが一番多く、銘にみられる地名は6割近くが江戸下町のものである。逆に静岡県内の地名がみられるものは1基のみである。その89基の中で一番古い年代に作成されたとされる碑塔は、洞穴内に位置する1664年(寛文4年)建立のものである。この碑塔は富士構成立以前のものである。また碑塔群には角行の供養碑などが含まれる。祈願奉納碑に区別されるものが35基、顕彰祈念碑に区別されるものが7基、墓碑供養碑に区別されるものが188基、道標が1基である。祈願奉納碑は「富士仙元」等の銘が彫られた祈願を主としたもので、顕彰祈念碑は講名や笠印などを記した記念碑であり、祈願奉納碑は戒名や行名を記したものである。現在は、碑塔群内に入ることは出来ない。

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周囲ももっと暗くて森のなかって記憶だけど 30年前以上の記憶だから…
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