近世宇土城から西に1~2kmぐらい
宇土古城跡 竪堀跡

wiki>宇土氏によって西岡台と称される独立丘陵に築かれ(このため中世宇土城を指して「西岡台」と通称する)、中央の迫地を挟んで東に主郭となる千畳敷(せんじょうじき)、西に三城(さんのじょう)という連郭式の体をなしている。東の千畳敷の周囲は横堀で囲まれており、北から東にかけての斜面には複数の竪堀が穿たれていた。近年、千畳敷と呼ばれる曲輪跡から多数の掘立柱建築の痕跡と、東側に城門遺構が発掘されており、一部の遺構については復元表示してある。

1998年(平成10年)、千畳敷の北側に掘削作業途中の横堀跡が検出され、当時の土木作業工程・技術を示す貴重な事例となっている。さらに、城門遺構付近の横堀からは100点を超す石塔の部材が出土しており、同城の廃城(城破り)に伴って念入りな儀式が行われたことを窺わせている。 また三城の南西側には、幅約10メートル、全長約300メートルの空堀が存在している。