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下関要塞 [ ┗公園をふらふら]

火の山公園続き
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wiki>明治時代、四面を海に囲まれた大日本帝国は外敵を防ぐため、全国に砲台を整備する必要に迫られていた。1886年(明治19年)には陸軍省が全国に砲台を建築する事を計画し、関門海峡でも1887年(明治20年)9月より、田の首砲台・田向山砲台を起工し要塞の建設が開始された。この時代の防衛は、敵が海岸付近まで攻めてきた所を船と協力して撃滅する、まさに「陸に砲台、海に船」といったものであった。そのため、陣地は関門海峡の沿岸に集中しており、多くの大砲が設置された。

第4砲台 堡塁砲台
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巌流島 過去記事
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日本海側の蓋井島(ふたおいじま)まで見えます。
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ここにも下関要塞の一角が(蓋井島砲台

同様に六連島砲台のあった六連島(左)
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