山口市 大内氏館

wiki>大内氏24代当主の大内弘世が、山口を本拠と定め移り住んだ時に築かれた居館で、京都を模した山口の街に似つかわしく城ではなく館として建てられた。そのため、詰の城として背後に高嶺城がある。

 最盛期の館は堀を含めると東西160m・南北170m以上の規模を誇る方形の居館で、京都の将軍邸を模しているとも言われる。初期は、館は溝と塀で囲まれている程度だったが、15世紀中頃には空堀と土塁によるある程度の防御力を備えた城館になった。堀はさらに南側にも伸びていることから、土塁で囲まれた部分よりさらに南にも関連する施設があったと推定されている。