多賀大社 [ ┗滋賀 欣求の道]
神仏霊場巡拝の道 133番 多賀大社へ HP
wiki>和銅5年(西暦712年)編纂の『古事記』の一部には「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり」と当社の記載がある。
『日本書紀』には「構幽宮於淡路之洲」、すなわち「幽宮(かくれみや)を淡路の洲(くに)に構(つく)りて」とあり、淡路島に「幽宮」を構えたとされる。
『古事記』以前の時代には、一帯を支配した豪族・犬上君の祖神を祀ったとの説がある。 犬上君(犬上氏)は、多賀社がある「犬上郡」の名祖であり、第5次遣隋使・第1次遣唐使で知られる犬上御田鍬を輩出している。
太閤橋
wiki>天正16年(1588年)には、多賀社への信仰篤かった豊臣秀吉が「3年、それがだめなら2年、せめて30日でも」と母の延命を祈願し、成就したため社殿改修を行い大名に与えるに等しい1万石を寄進した。境内正面の石造りの太鼓橋(大僧正慈性により寛永15年〈1638年〉造営)は「太閤橋」の雅名でも呼ばれる。
大政所は天正20年まで存命。
拝殿 神楽殿
祭神はイザナギとイザナミ
御朱印
能舞殿
wiki>和銅5年(西暦712年)編纂の『古事記』の一部には「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり」と当社の記載がある。
『日本書紀』には「構幽宮於淡路之洲」、すなわち「幽宮(かくれみや)を淡路の洲(くに)に構(つく)りて」とあり、淡路島に「幽宮」を構えたとされる。
『古事記』以前の時代には、一帯を支配した豪族・犬上君の祖神を祀ったとの説がある。 犬上君(犬上氏)は、多賀社がある「犬上郡」の名祖であり、第5次遣隋使・第1次遣唐使で知られる犬上御田鍬を輩出している。
太閤橋
wiki>天正16年(1588年)には、多賀社への信仰篤かった豊臣秀吉が「3年、それがだめなら2年、せめて30日でも」と母の延命を祈願し、成就したため社殿改修を行い大名に与えるに等しい1万石を寄進した。境内正面の石造りの太鼓橋(大僧正慈性により寛永15年〈1638年〉造営)は「太閤橋」の雅名でも呼ばれる。
大政所は天正20年まで存命。
拝殿 神楽殿
祭神はイザナギとイザナミ
御朱印
能舞殿
太鼓橋・・・渡れないみたいですね。太閤橋・・・なるほど!母思い。
鎌倉鶴岡八幡宮の太鼓橋は、子供の頃には渡った記憶がありますよ!
こんな急な斜面、転んで当たり前なのに、それでも柵なのですね。
by hanamura (2014-03-07 14:18)
>hanamuraさん
渡れたかどうだったかはちょっと記憶にないんですが、(とりあえず自分は渡ってない)
当時齢80はだいぶ長命ですね~
by Sazaby (2014-03-07 21:03)