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首里城 京の内 [ ┗九州・沖縄の100名城]

御庭(うなー)の南側に人気(ひとけ)のない森があります。
京の内(きょうのうち)
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wiki>以前は城内には十か所の御嶽があり、また首里城内郭の南側の大きな範囲を「京の内(けおのうち)」と呼ばれる聖域が占めていた。「京の内」は十か所の御嶽のうちの数か所と、鬱蒼とした大木の森や岩があるだけの場所だったが、この森こそが首里城発祥の地であり、首里城を国家の聖地とさせている重要な場所であった。聞得大君をはじめとする神女たちが京の内で祭祀を行っていたが、その祭祀の内容やはっきりとした京の内内部の様子はいまだによくわかっていない。

御嶽 
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十嶽のなかのいくつかが京の内にあったという話だが これはそのひとつなのかな??

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手前の森が「京の内」

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う~ん 雨雲ですな 雨降ってる場所が見えます。

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興醒めの石垣 上部は全部しっくいで固められてます。雨が染みこまないので孕みにくいんだとか。

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wiki>敷地内の御嶽等は単なる遺跡ではなく、現在に至るまで信仰の対象であった。琉球大学があった頃には、立ち入りが自由であったため、その構内のあちこちの拝所には常に線香やウチカビ(紙銭)が供えられ、主として女性の拝む姿がよく見られたものである。しかし、首里城の復元によって無断の立ち入りが禁止となってしまった。このため「首里城の建物は復活したが拝所としては破壊された」との声もある。

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木曳門(こびきもん)から一旦別の場所へと
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コメント 2

stop!

聞得大君って戦後までいたようですね。
お祀りする人がいなくなると、だんだんとすたれてくるのかなって・・・
石垣や立派な建物は復元されましたが、ちょっと寂しい気がします。
by stop! (2013-09-26 00:31) 

Sazaby

>stop!さん
 聞得大君は琉球王国付の巫女ですから廃されるのは時代の流れですかね。
 公式の巫女ノロは久米島に存続してるぐらいらしいですが、民間の巫女ユタは今でも各地にいるようです。
by Sazaby (2013-09-26 06:06) 

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