櫛引八幡宮で赤糸威鎧を [神社]
青森県八戸市
櫛引八幡宮 HP
wiki>仁安元年(1166年)に加賀美遠光が甲州南部庄(現山梨県南部町一帯)に八幡神を勧請して創祀し、緋威の鎧を殿内に納めたという八幡宮に起源を持ち、文治5年(1189年)の奥州合戦で戦功をたてたその息南部光行(南部氏の始祖)が糠部5郡(八戸・三戸・下北・鹿角・下北)の領地を任されて建久2年(1191年)に入部した折に、六戸の瀧ノ沢村に社殿を造営して南部庄から八幡宮を遷座し、さらに貞応元年 (1222年) に櫛引村の現在地に遷座したという。
国宝館
ここには国宝の鎧が2つ。赤糸威鎧と白糸威褄取鎧
撮影禁止なのでHPからパクったものを
国宝 赤糸威鎧「菊一文字」
wiki>茜染めの組糸で小札(こざね)を威し(赤糸威)、八重菊枝模様を打出した鍍金金具を兜の鉢・鍬形台・吹返、大袖の裾板、草摺の裾板、鳩尾板(きゅうびのいた)、栴檀板(せんだんのいた)など随所に散らす。兜は鋲の頭を星に見立てた星兜で眉庇に八重菊枝文の鍬形台と大鍬形が付く。大袖には籬(まがき)に八重菊枝文の金具の上に「一」の字の飾金物を置くため「菊一文字の鎧」と呼ばれる。鎌倉時代の金工芸術の最高水準を示し、装飾性の豊かな点で奈良県春日大社所蔵の「赤糸威鎧」(竹に虎金物)と双璧をなすものと唱われる。
金色の前立てもすごいんですが、さらにすごいのがその茜色。赤系の色がこんなに残ってるとは… というか…ほんまかいな…
境内を
八幡馬
正門 四脚門・切妻造・銅板葺 慶安元年(1648年)建立 重文
続く
櫛引八幡宮 HP
wiki>仁安元年(1166年)に加賀美遠光が甲州南部庄(現山梨県南部町一帯)に八幡神を勧請して創祀し、緋威の鎧を殿内に納めたという八幡宮に起源を持ち、文治5年(1189年)の奥州合戦で戦功をたてたその息南部光行(南部氏の始祖)が糠部5郡(八戸・三戸・下北・鹿角・下北)の領地を任されて建久2年(1191年)に入部した折に、六戸の瀧ノ沢村に社殿を造営して南部庄から八幡宮を遷座し、さらに貞応元年 (1222年) に櫛引村の現在地に遷座したという。
国宝館
ここには国宝の鎧が2つ。赤糸威鎧と白糸威褄取鎧
撮影禁止なのでHPからパクったものを
国宝 赤糸威鎧「菊一文字」
wiki>茜染めの組糸で小札(こざね)を威し(赤糸威)、八重菊枝模様を打出した鍍金金具を兜の鉢・鍬形台・吹返、大袖の裾板、草摺の裾板、鳩尾板(きゅうびのいた)、栴檀板(せんだんのいた)など随所に散らす。兜は鋲の頭を星に見立てた星兜で眉庇に八重菊枝文の鍬形台と大鍬形が付く。大袖には籬(まがき)に八重菊枝文の金具の上に「一」の字の飾金物を置くため「菊一文字の鎧」と呼ばれる。鎌倉時代の金工芸術の最高水準を示し、装飾性の豊かな点で奈良県春日大社所蔵の「赤糸威鎧」(竹に虎金物)と双璧をなすものと唱われる。
金色の前立てもすごいんですが、さらにすごいのがその茜色。赤系の色がこんなに残ってるとは… というか…ほんまかいな…
境内を
八幡馬
正門 四脚門・切妻造・銅板葺 慶安元年(1648年)建立 重文
続く
夏にバスを乗り継いで行ったら大変でした。帰りのバス待ちに酒屋さん(居酒屋ではない)で、ビール飲んで、漬け物を御馳走になってしまった。 国宝は~国宝ですからぁ!(意味不明) nice!大台ですね。
by hanamura (2013-03-25 13:55)
>hanamuraさん
以前八戸に来たときは根城からだとバス乗り換えないといけないんで断念したんですよね( ;谷)
車なら5分ちょっとで着くのに…
by Sazaby (2013-03-25 20:05)
境内の朱い橋、高知のはりまや橋にそっくりです。
っていうか、よくあるタイプの橋ですね。
by johncomeback (2013-03-25 20:42)
>johncomebackさん
そうですね。
ちなみにはりまや橋は赤い橋ひとつではないんですよ。それままたそのうち、忘れたころに…(笑)
by Sazaby (2013-03-25 21:14)