手宮洞窟保存館 [ ┗史跡をふらふら]
博物館の道を挟んだところにあります。
国史跡 手宮洞窟
小樽市HP>手宮洞窟(くつ)は1866年(慶応2年)相模(さがみ)国(現在の神奈川県)小田原から、朝里地区のニシン番屋の建設に来ていた、石工の長兵衛によって発見されました。手宮洞窟周辺は、小樽軟石と呼ばれる凝灰岩(ぎょうかいがん)が露出しているところで、長兵衛は建築用の石を捜している途中で偶然洞くつ内の岩壁にさまざまな文様が刻まれていることを発見しました。
小樽市HP>手宮洞窟に描かれている彫刻(陰刻(いんこく)画)がいつ誰によって刻まれたのか、それが何を表現したのか、かつてはいろいろな説がありました。しかし、現在まで行われたさまざまな調査研究により、ある程度のことがわかるようになってきました。
この彫刻が刻まれた時代は、発掘調査により、今からおよそ1,600年前頃の続縄文(ぞくじょうもん)時代中頃〜後半の時代で、本州の弥生(やよい)時代の終わり頃から古墳時代の初めの時期にあたります。
中はそれほど広くはないですが、
3Dの説明装置などあり
結局、よく分かってないということが分かりました(´・ω・`)
こんな紋様が刻まれている様なんですが、
実物はちょっと分かりずらいかな
なにが描かれてるんでしょうね~(´・ω・`)
国史跡 手宮洞窟
小樽市HP>手宮洞窟(くつ)は1866年(慶応2年)相模(さがみ)国(現在の神奈川県)小田原から、朝里地区のニシン番屋の建設に来ていた、石工の長兵衛によって発見されました。手宮洞窟周辺は、小樽軟石と呼ばれる凝灰岩(ぎょうかいがん)が露出しているところで、長兵衛は建築用の石を捜している途中で偶然洞くつ内の岩壁にさまざまな文様が刻まれていることを発見しました。
小樽市HP>手宮洞窟に描かれている彫刻(陰刻(いんこく)画)がいつ誰によって刻まれたのか、それが何を表現したのか、かつてはいろいろな説がありました。しかし、現在まで行われたさまざまな調査研究により、ある程度のことがわかるようになってきました。
この彫刻が刻まれた時代は、発掘調査により、今からおよそ1,600年前頃の続縄文(ぞくじょうもん)時代中頃〜後半の時代で、本州の弥生(やよい)時代の終わり頃から古墳時代の初めの時期にあたります。
中はそれほど広くはないですが、
3Dの説明装置などあり
結局、よく分かってないということが分かりました(´・ω・`)
こんな紋様が刻まれている様なんですが、
実物はちょっと分かりずらいかな
なにが描かれてるんでしょうね~(´・ω・`)
ば・・・バンデル星人?
by hanamura (2013-02-22 07:33)
>hanamuraさん
ふるいですね… まだ生まれてませんよ( ;谷)
by Sazaby (2013-02-22 17:32)
実は古代文字では?(^0^)
by よっすぃ〜と (2013-02-22 19:05)
>よっすぃ~とさん
どうもシャーマンを描いているようですよ
by Sazaby (2013-02-22 19:16)
続縄文時代って初めて知りました・・・。^^
by stop! (2013-02-22 19:27)
>stop!さん
北海道は稲作がなかったので弥生時代の定義がおかしくなるのかな??
とにかく学校ではならった記憶はないです。
by Sazaby (2013-02-22 19:43)