中宮寺 [ ┗奈良 鎮護の道]
Archaic smile: the smile that characteristically appears on the faces of Greek statues of the Archaic period (c. 650–480 bc), especially those from the second quarter of the 6th century bc.
神仏霊場巡拝の道 27番 中宮寺へ HP
表御殿(左)と本堂
wiki>中宮寺は、現在は法隆寺東院に隣接しているが、創建当初は400メートルほど東にあった。現在地に移転したのは中宮寺が門跡寺院となった16世紀末頃のことと推定される。旧寺地の発掘調査の結果から、法隆寺と同じ頃、7世紀前半の創建と推定されるが、創建の詳しい事情は不明である。天平19年(747年)の『法隆寺縁起』[1]や『上宮聖徳法王帝説』には、「聖徳太子建立七寺」の一とされるが、確証はない。中宮寺独自の創立縁起は伝わらず、『日本書紀』にも中宮寺創建に関する記載はない。
現在の法隆寺の東院伽藍の前身の伽藍、若草伽藍と対となるような立派な伽藍だったようだ。
拝観できるのはそれほど大きくはない本堂とそこに至るまでの長くはない道だけだけど
本堂
中の写真は無いのだった(¬_¬)
本尊は(寺伝)如意輪観音
御朱印
本尊の像と同じ位 美しい字ですな(。-_-。)
~from the Encyclopædia Britannica~
神仏霊場巡拝の道 27番 中宮寺へ HP
表御殿(左)と本堂
wiki>中宮寺は、現在は法隆寺東院に隣接しているが、創建当初は400メートルほど東にあった。現在地に移転したのは中宮寺が門跡寺院となった16世紀末頃のことと推定される。旧寺地の発掘調査の結果から、法隆寺と同じ頃、7世紀前半の創建と推定されるが、創建の詳しい事情は不明である。天平19年(747年)の『法隆寺縁起』[1]や『上宮聖徳法王帝説』には、「聖徳太子建立七寺」の一とされるが、確証はない。中宮寺独自の創立縁起は伝わらず、『日本書紀』にも中宮寺創建に関する記載はない。
現在の法隆寺の東院伽藍の前身の伽藍、若草伽藍と対となるような立派な伽藍だったようだ。
拝観できるのはそれほど大きくはない本堂とそこに至るまでの長くはない道だけだけど
本堂
中の写真は無いのだった(¬_¬)
本尊は(寺伝)如意輪観音
御朱印
本尊の像と同じ位 美しい字ですな(。-_-。)
アルカイックスマイル・・・
素晴らしい微笑像ですね。^^
by susumu (2012-10-03 19:27)
>susumuさん
その指先がより神秘的な趣をかもしだしています(。∵。)
by Sazaby (2012-10-03 20:42)
御朱印の文字ほんと美しいですね。
by れもん (2012-10-03 20:58)
>れもんさん
どちらかというと神社で頂けるような繊細な感じですね^^
by Sazaby (2012-10-04 08:54)