多武峯 談山神社 [ ┗奈良 鎮護の道]
駐車場横 門がぽつんと…
なにか書いてあったかな? 山門? 誰かの屋敷の門っぽいかな?
参道をてくてくと
燈籠ヶ辻
石灯籠 後醍醐天皇寄進 重文
神仏霊場巡拝の道 37番 談山神社へ HP
拝殿
拝殿の中は資料館っぽくなってまして、大化の改新絵物語的なものも。
本殿
三つ葵紋が見えます。
秀吉によって大和郡山城下へ強制移転させられ、秀吉の死後再びこの地へ戻ってきたときに再建したのが家康らしい。
祭神は談山明神=藤原鎌足
御朱印
再び拝殿の中から
多武峯曼荼羅
談山明神である鎌足と不比等(左下)
なにか書いてあったかな? 山門? 誰かの屋敷の門っぽいかな?
参道をてくてくと
燈籠ヶ辻
石灯籠 後醍醐天皇寄進 重文
神仏霊場巡拝の道 37番 談山神社へ HP
wiki>鎌倉時代に成立した寺伝によると、藤原氏の祖である藤原鎌足の死後の天武天皇7年(678年)、長男で僧の定恵が唐からの帰国後に、父の墓を摂津安威の地(参照:阿武山古墳)から大和のこの地に移し、十三重塔を造立したのが発祥である。天武天皇9年(680年)に講堂(現在の拝殿)が創建され、そこを妙楽寺と号した。大宝元年(701年)、十三重塔の東に鎌足の木像を安置する祠堂(現在の本殿)が建立され、聖霊院と号した。談山の名の由来は、藤原鎌足と中大兄皇子が、大化元年(645年)5月に大化の改新の談合をこの多武峰にて行い、後に「談い山(かたらいやま)」「談所ヶ森」と呼んだことによるとされる。 |
拝殿
拝殿の中は資料館っぽくなってまして、大化の改新絵物語的なものも。
本殿
三つ葵紋が見えます。
秀吉によって大和郡山城下へ強制移転させられ、秀吉の死後再びこの地へ戻ってきたときに再建したのが家康らしい。
祭神は談山明神=藤原鎌足
御朱印
再び拝殿の中から
多武峯曼荼羅
談山明神である鎌足と不比等(左下)
奈良の紅葉だと、ここを真っ先に思い浮かべます。
麓の聖林寺とあわせて、好きなコースです。
by hawaiian (2012-09-28 06:42)
>hawaiianさん
拝殿からの眺めはいいでしょうね~^^
by Sazaby (2012-09-28 09:32)
十三重塔はぜひ見てみたいですね。^^
by susumu (2012-09-28 19:57)
>susumuさん
ここの十三重塔はよく写真で見ますね~
あんまりいいアングルで撮れる場所が見つけられませんでした^^;
by Sazaby (2012-09-28 20:24)