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唐招提寺 [ ┗奈良 鎮護の道]

神仏霊場巡拝の道 24番 唐招提寺HP
南大門
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wiki>唐招提寺(とうしょうだいじ)は、奈良市五条町にある鑑真が建立した寺院。南都六宗の1つである律宗の総本山である。本尊は廬舎那仏、開基(創立者)は鑑真である。井上靖の小説『天平の甍』で広く知られるようになった中国・唐出身の僧鑑真が晩年を過ごした寺であり、奈良時代建立の金堂、講堂を初め、多くの文化財を有する。
唐招提寺は1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。


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金堂 国宝
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wiki>奈良時代建立の寺院金堂としては現存唯一のものである(奈良・新薬師寺の本堂は奈良時代の建築だが、当初から本堂として建てられたものではない)。2000年から解体修理(「平成の大修理」)が行われ、2009年11月1日-3日に落慶行事が行われた。寄棟造、本瓦葺きで、大棟の左右に鴟尾を飾る。このうち西側の鴟尾は創建当初のもので、東側は鎌倉時代の元亨3年(1323年)の補作であったが、いずれの鴟尾も劣化が甚だしいため、平成の大修理に伴い、屋根上から下ろして別途保管することとなり、屋根上には新しい鴟尾が飾られている。
本尊は乾漆盧舎那仏坐像 国宝
御朱印
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wiki>像高304.5センチメートル。奈良時代末期、8世紀後半の作とされる。廬舎那仏は、大乗の戒律を説く経典である『梵網経』(5世紀頃中国で成立)の主尊である。像は千仏光背を負い、蓮華座上に坐す。麻布を漆で貼り固めて造形した脱活乾漆像である。

こちらは講堂 国宝
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wiki>平城宮の東朝集殿を移築・改造したもので、天平宝字4年(760年)頃、平城宮の改修に伴って移築された。東朝集殿は、壁や建具のほとんどない開放的な建物で、屋根は切妻造であったが、寺院用に改造するにあたって、屋根を入母屋造とし、建具を入れている。鎌倉時代の建治元年(1275年)にも改造されているが、奈良時代宮廷建築の唯一の遺構として極めて貴重である。堂内には本尊弥勒如来坐像(重文、鎌倉時代)と、持国天、増長天立像(重文、奈良時代)を安置する。1970年に新宝蔵が完成するまでは、堂内に多数の仏像を安置していた。

新宝蔵にいったあとはこちらにお参り
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開山御廟 鑑真和上の墓所です。
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御影堂 重文 は今回も隙間からのぞき見のみ
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あとは境内をうろうろと
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戒壇
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wiki>戒壇院の建物は江戸時代末期の嘉永元年(1848年)に放火により焼失して以来再建されず、3段の石壇のみが残っている。1978年にインド・サンチー式の古塔を模した宝塔が壇上に置かれた。唐招提寺の戒壇は創建時建立説と、鎌倉時代の弘安7年(1284年)初建立説とがある。
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芭蕉句碑
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コメント 4

susumu

まさに天平の甍ですね。^^
国宝の金堂や講堂の佇まいは本当に美しいと思います。
平城宮の遺構が残っているなんて驚きデス。^^
by susumu (2012-09-05 19:08) 

Sazaby

>susumuさん
 平城京の朝集殿は控の建物ということですから、そんなに立派なものが必要とは思えませんが、
 それだけにどれほど立派な都だったかを伺わせますね。
by Sazaby (2012-09-05 19:51) 

マチャ

唐招提寺、大好きなお寺です(^-^)/
by マチャ (2012-09-06 18:11) 

Sazaby

>マチャさん
 御影堂の中や鑑真和上像もいつかみてみたいです。
by Sazaby (2012-09-06 18:47) 

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