大安寺 [ ┗奈良 鎮護の道]
浄瑠璃寺から奈良市内へ移動
駐車場のお隣にひっそりと存在する推古天皇社
その脇には大日如来の石像と石碑が
神仏霊場巡拝の道 17番 大安寺へ HP
wiki>大安寺(だいあんじ)は、奈良市中心部にある高野山真言宗の仏教寺院。本尊は十一面観音。開基(創立者)は聖徳太子と伝える。南都七大寺の1つで、奈良時代(平城京)から平安時代前半は東大寺、興福寺と並ぶ大寺であった。
南大門跡
本堂 本尊は十一面観音です。
内部拝観は有料です。(収蔵庫の拝観含みです。)
御朱印
護摩堂
傾きかけてますな…
嘶堂
秘仏 伝馬頭観音(千手観音 重文)の開帳は3月と…
wiki>大安寺の旧本尊・乾漆造釈迦如来像は「資材帳」に天智天皇発願の像と記され、名作として知られていた。平安時代末期の保延6年(1140年)に南都の諸寺を巡った大江親通の『七大寺巡礼私記』は、薬師寺の本尊像(現存、国宝)についての記述のなかで、「薬師寺の本尊像は優れた作だが、大安寺の釈迦像には及ばない」という趣旨のことを述べている。平安時代末期に和様彫刻様式を完成させた仏師・定朝も大安寺の釈迦像を模作したことが知られている。この釈迦像も今は失われ、見ることができない。
駐車場のお隣にひっそりと存在する推古天皇社
その脇には大日如来の石像と石碑が
神仏霊場巡拝の道 17番 大安寺へ HP
wiki>大安寺(だいあんじ)は、奈良市中心部にある高野山真言宗の仏教寺院。本尊は十一面観音。開基(創立者)は聖徳太子と伝える。南都七大寺の1つで、奈良時代(平城京)から平安時代前半は東大寺、興福寺と並ぶ大寺であった。
かつては ←こんな大伽藍でしたの図 (3年前に撮った写真を引っ張り出してきたのでぼやけてますが…) 奈良時代には東西二基の七重塔も存在していた立派な伽藍でした。 現在の大安寺にはその面影もなく、数体の木彫りの仏像が残るのみ… 南大門の東側には先ほど見かけた推古天皇社も見えます。↓ |
南大門跡
本堂 本尊は十一面観音です。
内部拝観は有料です。(収蔵庫の拝観含みです。)
御朱印
護摩堂
傾きかけてますな…
嘶堂
秘仏 伝馬頭観音(千手観音 重文)の開帳は3月と…
wiki>大安寺の旧本尊・乾漆造釈迦如来像は「資材帳」に天智天皇発願の像と記され、名作として知られていた。平安時代末期の保延6年(1140年)に南都の諸寺を巡った大江親通の『七大寺巡礼私記』は、薬師寺の本尊像(現存、国宝)についての記述のなかで、「薬師寺の本尊像は優れた作だが、大安寺の釈迦像には及ばない」という趣旨のことを述べている。平安時代末期に和様彫刻様式を完成させた仏師・定朝も大安寺の釈迦像を模作したことが知られている。この釈迦像も今は失われ、見ることができない。
自分が住んでる町の隣に「大安町」という町があります。
そこはその昔大安寺の寺領だったことにちなんで「大安町」と名付けられたそうですが、
かつての大伽藍の図を見ていると遠く離れた伊勢国に寺領があるほどの大寺院だったことがうなずけますね。^^
by susumu (2012-08-30 19:00)
>susumuさん
それは思わぬところに繋がりがあったものです∑( ̄□ ̄;)
そんな大寺院のかつての本尊、釈迦像というのもどんなものかも見てみたかったです(´-ω-`)
by Sazaby (2012-08-30 19:30)
僕が生まれ育ったのが、この大安寺町でした。
今年の3月末にも大安寺を訪れたのですが、まだ記事にしてません(^-^;
冬ぐらいには掲載できたらいいなあ・・・と思っています。
by マチャ (2012-09-01 08:24)
>マチャさん
記事を楽しみにしております^^
by Sazaby (2012-09-01 11:01)