方除の大社 城南宮 [ ┗京都 楽土の道]
3/16 14:00 神仏霊場巡拝の道 84番 城南宮へ HPへ
wiki>創立年代は不詳である。この地にあった式内社「真幡寸神社」に、神功皇后の三韓征伐の際に船上に立てた旗に神功皇后・八千戈神(大国主神)の神霊を添えて奉斎したのに始まると伝える。平安遷都の際に国常立尊が併祀され、城(平安京)の南にあることから「城南神」と呼ばれた。白河天皇が鳥羽離宮(城南離宮)を造営してからはその一部となり、代々の天皇や上皇の行幸がしばしばあった。また後代になると京都御所の裏鬼門を守る神となったことから貴族の方違の宿所となり、方除けや厄除けの神としても信仰されるようになった。
真幡寸神社
wiki>明治10年(1876年)には式内社「真幡寸神社」に比定され、社名を「真幡寸神社」に改称した。しかし昭和43年(1968年)に「城南宮」に復し、「真幡寸神社」はその境内摂社として境内に新たに社殿を設けて奉祀されることになった。
しだれ梅
社殿
祭神
御朱印
一寸法師??
なんで一寸法師かは┐(´д`)┌
三光の紋
鳥居にもついてましたが、日、月、星を表しているようで
神功皇后の軍船の旗印に由来しているとかいう話です。
このあと、京都駅付近に戻ってミュージアムへ
閉館まで1時間ぐらいしかなくて半分ぐらいしか見られませんでした(´ヘ`;)
wiki>創立年代は不詳である。この地にあった式内社「真幡寸神社」に、神功皇后の三韓征伐の際に船上に立てた旗に神功皇后・八千戈神(大国主神)の神霊を添えて奉斎したのに始まると伝える。平安遷都の際に国常立尊が併祀され、城(平安京)の南にあることから「城南神」と呼ばれた。白河天皇が鳥羽離宮(城南離宮)を造営してからはその一部となり、代々の天皇や上皇の行幸がしばしばあった。また後代になると京都御所の裏鬼門を守る神となったことから貴族の方違の宿所となり、方除けや厄除けの神としても信仰されるようになった。
真幡寸神社
wiki>明治10年(1876年)には式内社「真幡寸神社」に比定され、社名を「真幡寸神社」に改称した。しかし昭和43年(1968年)に「城南宮」に復し、「真幡寸神社」はその境内摂社として境内に新たに社殿を設けて奉祀されることになった。
wiki>本殿に向かって正面にある赤い鳥居はよく見ると変わった様式となっている。これは城南宮鳥居と呼ばれ、基本型は神明鳥居に属するが、柱下に饅頭があり、棟の部分に島木・笠木を重ねて、さらに屋根を葺いている。その島木の正面中央に神紋の金具が打たれている。 |
しだれ梅
社殿
祭神
国常立尊 | 国之常立神:日本書紀では天地開闢の際一番最初に現れた神様です。 |
八千矛神 | 大国主 |
息長帯日売命 | 神功皇后 |
御朱印
一寸法師??
なんで一寸法師かは┐(´д`)┌
狛犬 | 獅子 |
三光の紋
鳥居にもついてましたが、日、月、星を表しているようで
神功皇后の軍船の旗印に由来しているとかいう話です。
このあと、京都駅付近に戻ってミュージアムへ
閉館まで1時間ぐらいしかなくて半分ぐらいしか見られませんでした(´ヘ`;)
一寸法師はお椀の船に乗って難波の津から淀川をさかのぼって、城南宮の南にある鳥羽の津に上陸して都に向かったみたいですね。^^
by susumu (2012-07-24 19:57)
>susumuさん
住吉大社にもあったのでそちらは知っていましたが、
上陸して都に向かったと… 別の言い方をすると通り過ぎただけ…?
by Sazaby (2012-07-24 22:10)
城南宮は桜の時期もきれいですよ^^
by なまけもの (2012-07-25 09:49)
>なまけものさん
今回訪れませんでしたが、ここの神苑はすごく大きそうですね(^_^)
GWに行われる曲水の宴も見て見たいものです
by Sazaby (2012-07-25 17:13)
紅白の梅がとてもきれいです(^^
by よっすぃ〜と (2012-07-25 19:12)
>よっすぃ〜とさん
この梅を見にかなりの人が訪れてました(^ ^)
by Sazaby (2012-07-26 07:28)