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大覚寺 大沢池とか [ ┗京都 楽土の道]

続き
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wiki>皇室ゆかりの寺院である大覚寺には、宮廷風の建築や皇室ゆかりの建物を移築したものが多い。伽藍の中軸線上には南から勅使門(唐門)、御影堂、心経殿が建ち、御影堂の東に五大堂、西に宸殿、宸殿の北側に正寝殿が建つ。これらの建物の間は屋根付きの廊下で結ばれている。伽藍の中心部に位置しているのは、本堂にあたる五大堂ではなく、嵯峨天皇ほかの歴代天皇が書写した般若心経を収める心経殿である点が注目される。

大沢池
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wiki>大沢池は中国の洞庭湖を模して嵯峨天皇が築造したものといわれ、当時の唐風文化の面影を今に残す園地は池の北方約100メートルにある「名古曽の滝」とともに1923(大正12年)に国の文化財として名勝に指定されている。嵯峨院の園池を引き継ぐものと推定されているが、これは南東にゆるく傾斜する地形を利用して南から東にかけて長い堤を築することで北西側からの流れをせき止めて築造された人工の池として知られる。この池はまた周辺水田の灌漑用水として重要な役割を果たしてきたことが知られている。平安時代前期の名残をとどめ、日本最古の庭池とされている。

伽藍の大沢池側には鳥居とお社(写真は摂社かな)
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奥に五社明神が祀られているようです。鎮守社なんでしょうね。

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さらに奥の方には護摩堂、大日堂、聖天堂などがあるようです。

心経殿
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wiki>内部には嵯峨天皇、後光厳天皇、後花園天皇、後奈良天皇、正親町天皇、光格天皇の直筆の般若心経を収蔵し、薬師如来像を安置する。内部は非公開で、開扉は60年に一度とされている。
といっても1925年の建立ですから、まだ一度しか公開されてないということか?

霊明殿
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wiki>総理大臣を務めた斎藤実が昭和3年(1928年)、東京の沼袋(現・中野区沼袋)に建てた日仏寺の本堂だったもの。昭和33年(1958年)、当時大覚寺門跡であった草繋全宜(くさなぎぜんぎ)が移築した。縁板まで含め総朱塗りとした建物で、阿弥陀如来を本尊とする。
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庭園
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小さなお社も 弁天社でしょうかね?
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御朱印
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五大明王ですね

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コメント 2

susumu

大覚寺の回廊は迷子になりそうですね。^^
by susumu (2012-07-09 20:49) 

Sazaby

>susumuさん
 ホントにそうでしたね^^;
 写真を見てもどこらへんから撮ったのかよく分かりません(笑)
by Sazaby (2012-07-09 21:43) 

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